R35が名車になったワケ
水野氏にとっては、自身がイメージするR35の走りを、実戦を通じて深く考えたかったのであろう。
その後、R35の試験車両ができてから、水野氏との関係の深いレーシングドライバーの鈴木利男氏が、日産の米アリゾナ州のテストコースやドイツのニュルブルクにあるサーキット「ニュルブルクリンク」などを走り込んだ。

筆者は高校生の頃からレーシングカートを通じて鈴木氏を知っているが、R35開発期間中にその進捗を聞くと、当然企業機密であるため多くは語らないのだが「どんどん良い方向に進んでいる」と笑顔で答えてくれた。当時、自動車メディアなどでは鈴木氏がR35の評価ドライバーであることは報じられていた。
そして登場したR35は、スカイラインGT-Rの歴史を尊重しつつも、新しい時代の「技術の日産」を強く感じさせる日本が世界に誇る名車となった。

筆者はこれまで、日米欧の公道やサーキットなど様々なシチュエーションでR35を走らせてきたが、走るたびに新たなる発見があった。この17年間にも様々なモデルやグレードが登場し、GT-Rの走りの深みが増していったことを実感している。
そんなR35のファイナルステージとして今回、首都高速をクルージングしながら、GT-Rというクルマをどのように表現すれば良いのか、言葉を探した。