数々のトラブルを乗り越え、マクドナルドのチェーン店をオープン
あらゆる挑戦には失敗がつきものです。それは何歳からの挑戦であっても変わりません。クロックもずいぶんと予想外のトラブルに直面しています。
一つ目の大きな誤算が、マクドナルド兄弟のルーズさです。契約書上は何を決定するにしても、マクドナルド兄弟の許可が必要でしたが、マクドナルド兄弟はいつも口頭で対応するのみ。新たに決まったことを書面にするのを面倒くさがったのです。
それどころか、マクドナルド兄弟は、クロックに重大な隠しごとをしていました。クロック以外にも10店舗ほどすでにフランチャイズ契約を結んでいることはマクドナルド兄弟から事前に伝えられていました。しかし、それ以外にも1店舗、別の会社にフランチャイズ権を売却していたことが明らかになったのです。
それもクロックの会社や自宅があり、そして1号店を開いたイリノイ州クック郡において、別会社にフランチャイズ権を売却していたというから、当然、そのままにしておくわけにはいきません。
また、調理面でも壁にぶち当たりました。フライドポテトがどうしてもうまく揚がらないのです。製法については、マクドナルド兄弟から散々レクチャーを受けていたにもかかわらず、です。
「ジャガイモの皮はできるだけ薄くむき、少し皮を残した状態にすれば、風味が逃げないんだよ」
クロックは得意気に、マクドナルド兄弟から得た受け売りの知識で従業員を指導しましたが、できあがったフライドポテトは、明らかに味が劣っていました。
いずれも頭を抱える深刻な事態です。しかもクロックは、この事業のためにすでに全財産を投げうっています。もはや引き返すことはできません。それでも「何かしら乗り越える方法はあるだろう」と考えられるのは、積み重ねてきた人生経験があり、かつ、体力もまだある50代ならでは、かもしれません。
まず、マクドナルド兄弟が口頭で決まったことを書面にしたがらない問題については、クロックは大胆にも「勝手に進める」という道をチョイス。もし訴訟されれば勝ち目はありませんが、事業がうまくいけば問題ないはずと、どんどん進めていきました。
また、マクドナルド兄弟がほかの会社に勝手にフランチャイズ権を売ってしまったという問題には、すぐさま買い戻すことで対処しました。当然、そのための資金が必要となりますが、クロックはすでに借金だらけ。がむしゃらに働くほかありませんでした。
朝は清掃員とともにマクドナルドに出社。材料の発注や厨房の準備はもちろん、経営者でありながらトイレ掃除も率先して行いました。それでいて、夜はマルチミキサーを売り歩いて、再びマクドナルドに戻る。そんな日々を送ったといいます。
ハードな日々を支えたのは、「マクドナルドの事業を成功させる」という並々ならぬ意欲です。膨大な仕事に追われながらも、店舗で「M」のマークが夕方になっても点灯されていなかったり、駐車場にゴミが散乱していたりすれば、現場に厳しく注意したといいます。
「困難は百も承知で、私はマクドナルドに完璧を求め、それを何より優先させたのである」
完璧を追求する姿勢は、調理面でも発揮されました。フライドポテトがうまく揚がらないという問題については、アイダホポテトの保存法に原因があると突き止めました。
これまでは木箱に入れて日陰に保存させていましたが、ジャガイモは乾燥させることで、糖分がでんぷんへと変わり、味が美味しくなります。マクドナルド兄弟は、たまたま蓋のない容器で保存していたため、意図せずして自然乾燥が行われていたことがわかったのです。
クロックは保存場所である地下室に、巨大な扇風機を設置。風通しをよくしたところ、フライドポテトの味が格別なものとなりました。
マクドナルド兄弟と出会ったサンバーナーディノ店での感動を思い出しながら、クロックはこう胸を張ります。
「開店から3カ月、ようやく私の期待どおりのフライドポテトができあがった。ひょっとしたら、サンバーナーディノ店を上回るおいしさだったかもしれない」
こうしてあらゆる角度からの困難に対処しながら、1956年の4月から年末までにマクドナルドのチェーン店としてカリフォルニア以外にも7店舗をオープンさせ、売上を急増させていくことになったのです。
