マクドナルド兄弟と出会い、52歳での大冒険

 最初は苦戦しながらも、ドラッグストア、ソーダ・ファウンテン、乳製品の小売店など、販売先を全国各地に拡大。順調に売上を伸ばしていきました。

 35歳から52歳までの実に17年にわたって、クロックはマルチミキサーの販売に従事しました。紙コップの営業に打ち込んでいた年月と同じだけ、マルチミキサーの営業1本で結果を出してきたことになります。

 クロックが脱サラして事業を起こしたのは成功だったといえるでしょう。もう十分に人生で冒険はし尽くした。そう考えてもおかしくはありません。

 しかし、あることに気づいたことで、クロックの人生は再び激流へとのみ込まれていきます。全米から注文が殺到したかと思うと、みなが同じことを口にしたのです。

「カリフォルニアのサンバーナーディノでマクドナルド兄弟が使っているのと同じマルチミキサーが1台ほしい……か。これでいったい、何件目だ?」

 そこでクロックは、マクドナルド兄弟が経営するハンバーガーショップを訪ねてみました。すると、そこには驚くべき光景が広がっていました。

 ハンバーガーの製造は、パテを焼く者、バンズを挟んで包む者など、役割に応じて分業が徹底。商品のメニュー数も絞り込まれているため、客が注文してからハンバーガーができるまで、わずか30秒という組み立てラインが構築されていたのです。

 それだけではありません。飲み物は紙コップで提供し、ハンバーガーやポテトなど商品も紙で包むため、食器洗浄機を置く必要もありません。そして、8台のマルチミキサーをフル稼働させることで、40杯ものミルクシェイクを作るという体制ができあがっていました。徹底的に効率を追い求めたからこその現場です。

 店内が清潔で従業員の育成が行き届いている点でも、クロックはすっかり魅了されてしまいました。そのときの衝撃について、クロックはユニークな表現で振り返っています。

「それを初めて目の当たりにしたとき、私はニュートンの頭に“ジャガイモ”が落ちてきたかのような衝撃を受けたものである」

 クロックは、売上の0.5%をマクドナルド兄弟に支払う条件で、「マクドナルド」という名のハンバーガーショップをチェーン展開するという契約を結びました。

 妻はもちろん、またもや反対です。クロックからしても、35歳で事業を立ち上げてここまでうまくやってきたわけですから、大転換することへの不安はあったことでしょう。しかし、クロックはそれでも突き進みます。最初に会社を辞めるときに妻に反対されたときと、同じような気持ちで自身を奮い立たせたことでしょう。

「だからといってくじけてはいられなかった。一度心に決めたら、必ずやり遂げるのが私の信条だ。何があっても前進あるのみ」

 1954年、52歳にしての大冒険です。