しかし、ヒトラーはズデーテンを無条件に割譲するのみならず、ポーランドやハンガリーへの領土割譲も要求した。さすがに、チェコスロバキア政府はこれを拒否し、一気に緊張が高まった。そのため、イギリス政府はムッソリーニに仲介を頼み、9月29日に、英仏独伊の4カ国首脳会談が開かれることになった。これが、有名なミュンヘン会談でで、チェンバレン、ダラディエ、ヒトラー、ムッソリーニの4首脳が集まって、チェコスロバキア問題を協議し、ドイツがズデーテン地方を10月以降接収することが確認された。
そうして確定された新しいチェコスロバキアの国境線は、参加各国が保証することになった。9月30日、チェンバレンはヒトラーと会談し「英独共同平和宣言」に署名し、両国がヨーロッパの平和を協議(話し合い)によって解決することを高らかにうたった。帰国したチェンバレンやダラディエは、大群衆の「これで戦争の危機は去った」と歓喜する声に迎えられた。これが、歴史上有名な「ミュンヘンの宥和」である
チェコスロバキアの解体
今のトランプ主導の停戦交渉は、このミュンヘンの宥和の再現のような様相を呈している。チェンバレン役がトランプ、ヒトラー役がプーチンである。チェコスロバキアがウクライナである。
ヒトラーの野心には限りがなく、次はチェコスロバキアの解体を求めていく。ヒトラーはスロバキア人を独立へと煽動し、1939年3月14日、スロバキアは独立した。また、ヒトラーは、ハンガリー国境のカルパト・ウクライナも独立させた。
翌15日、ベルリンでチェコスロバキア大統領はヒトラーと会見するが、ヒトラーは、武力の威嚇によって、チェコスロバキアのドイツへの統合を強要し、プラハへの進軍を開始した。そして、翌16日、ヒトラーは、チェコスロバキアを「ベーメン・メーレン(ボヘミア・モラビア)保護領」としてドイツ国に統合した。こうしてチェコスロバキアは地図上から消滅した。

トランプは、ゼレンスキーの「無策」を批判し、このままではウクライナが消滅すると述べたが、その発言を聞いて、私は、このチェコスロバキア解体が脳裏に浮かんだ。それはチェンバレンがチェコスロバキアに譲歩を求めた姿勢と同じである。トランプには、国家の主権を守るとか、武力による併合を阻止するとかいった基本的な原則もないのであろうか。
さらに、3月22日には、ヒトラーは、東プロイセンと隣接するリトアニアからメーメルを返還させた。