図1『孝行娘妹背仇討』(関亭伝笑著、文化5年)、国立国会図書館蔵

(永井 義男:作家・歴史評論家)

江戸の常識は現代の非常識? 江戸時代の庶民の生活や文化、春画や吉原などの性風俗まで豊富な知識をもつ作家・永井義男氏による、江戸の下半身事情を紹介する連載です。はたして江戸の男女はおおらかだったのか、破廉恥だったのか、検証していきます。

貧しい娘を売り飛ばす悪どい商売ではない

 女衒(ぜげん)は言うまでもなく、人買い稼業である。農村の貧しい農民などから娘を買い取り、吉原などの妓楼(女郎屋)に転売した。人身売買と考えると、冷酷非情な商売と言ってよかろう。

 しかし、時々、「貧しい家の娘をだまして吉原などに連れていき、売り飛ばすあくどい商売」と理解している人がいるのを知ると、筆者はつい女衒を擁護したくなる。

 というのも、江戸時代、女衒はけっして非合法な行為をしていたわけではなかったからだ。公許の遊廓があり、遊女(娼婦)は合法的存在の時代だったのを忘れてはならない。

 ここでは、わかりやすくするため吉原の妓楼や遊女で考えよう。

 図1は、典型的な身売りの光景である。

 縁台の左側に腰かけているのが女衒。右側が父親である。ふたりの間に、身売り証文と金が置かれている。いかにもやつれた女は母親であろう。背後にいるのは村の名主。駕籠の中で泣いているのが、女衒に売られた娘。左側の女は、娘の友達だろうか。

 双方が署名捺印の上で証文を取り交わし、女衒は親に金を渡している。けっして、だましているわけではなく、正式な契約だった。

 女衒は仕入れた娘を吉原の妓楼に連れていき、目見えさせる。楼主が気に入ると、娘を引き取るわけだが、この際も楼主と女衒の間できちんと証文が取り交わされた。そして、楼主は女衒が要求する金額(女衒がすでに親に支払った額に、手間賃や利益を加えたもの)を支払った。

 こうして、娘は妓楼に買い取られ、当分は禿として雑用に従事しながら遊女になるためのしつけを受け、やがて遊女として客を取り始める。

 ところで、女衒が親に渡した金は、娘が奉公先で得るであろう給金の全額の前払いだった。この結果、娘は決められた年季(期間)の間、辞めることは許されないのである。すでに給金はもらっているのだから(実際は親の手に渡ったのだが)。

 ここにこそ、「遊女は借金に縛られていた」という境遇の過酷さがあるし、当時、人々が遊女を「親孝行をした女」と見る背景があった。娘は身売りをすることで、貧しい親の窮状を救ったのである。このため、世間の人々は遊女をけっして蔑視しなかった。