女衒(ぜげん)は言うまでもなく、人買い稼業である。農村の貧しい農民などから娘を買い取り、吉原などの妓楼(女郎屋)に転売した。人身売買と考えると、冷酷非情な商売と言ってよかろう。 しかし、時々、「貧しい家の娘をだまして吉原などに連れていき、売り飛ばすあくどい商売」と理解している人がいるのを知ると、筆者はつい女衒を擁護したくなる。 というのも、江戸時代、女衒はけっして非合法な行為をしていたわけではなかったからだ。公許の遊廓があり、遊女(娼婦)は合法的存在の時代だったのを忘れてはならない。 ここでは、わかりやすくするため吉原の妓楼や遊女で考えよう。 図1は、典型的な身売りの光景である。 縁台の左側に
「女衒」が冷酷非情の人買い稼業というのは誤解?実は教養があり、現代の司法書士のような高度な専門職だった
おおらか?破廉恥?江戸の「風俗」のリアル(10)
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