「ポストセリエル」の作曲家・藤井一興

 私は決して藤井さんと特別に親しかったわけではありません。

 東京芸大ソルフェージュ科で非常勤講師をしていたとき、私の経歴や毛色が変わっているからだと思いますが、興味を持って声をかけてくださり、リサイタルのご案内を送っていただいたりするようになったのは私が40歳を超える頃のことでした。

 藤井さんの偉業、特に「フォーレ全作品校閲」などピアノに関する大業績については、これからほかの「弔辞」もたくさん出ると思いますので、ここには記しません。

 ただ、彼のピアニズムを「音色」というのは、ちょっと考えた方がよいと思います。

 というのは、作曲家としての彼と、彼が考えたであろう事柄を多くのリスナーはご存じないと思うので。

 突然「音色」を持ちだし、彼の音楽思考を神棚に奉るべきではない。

 演奏家として絶無のユニークな存在であるとともに、藤井一興さんの音楽思考は透徹した一般性、妥当性を前提に、その先のファンタジーを縦横に花開かせている。

 その事実に、彼より後の時間に生を与えられている私たちは、もっとセンシティブでなければならない。

 日本からパリに留学し、メシアンに師事した人は少なくありませんが、欧州で作曲家として賞を受け、放送局などから委嘱を受けている作曲家は決して多くありません。

 藤井さんは作曲でもピカ一の才能を見せています。しかし、いまや彼が「遺した」と書かねばならないのが本当に残念です。

 藤井作品は例外なく非常に生真面目な「ポストセリエル」の作風で、決して華美に振舞うことなく、むしろ無骨と言ってよいほど誠実に検討、彫琢されている。

 第一級の「音楽の思索者」だった。

 こういうことは、野平一郎さんなどごく一部の例外を除いて、ほかの方はほとんど書かないと思いますので、強調しておきたいと思います。

 極めて直観的でもありながら、一興さんは音楽のあくなき思索者でもあり続け、常に創意をもって音楽に新たな命を吹き込む歓びを忘れることがない「魂」だった。

 遺されたコラムもそのような観点から見直すと、新たに浮かび上がってくることがあるように思います。

 コラムにあるように、デュティユは良いものを良いとまっすぐに評して、若い音楽家を勇気づけ、大いに伸ばす人、大作曲家でした。藤井さんもまた、そこで育まれたお一人だったわけです。

 藤井一興という人は、そういう存在だったと思います。決して大げさな表現ではありません。