譜面に記されたすべての音には、複数の「読み」の可能性が潜んでいる。そこから新たな「音楽のかたち」を見出すのが一つの仕事。

 次にそれを実現する手、指、身体のテクニカルな問題、メトードがもう一つの仕事。

 そうした音楽を形作る「必須アミノ酸」のどれ一つとして、決しておろそかにすることのない、音楽へのあくなき良心。

 3年前、藤井さんが芸大の非常勤を定年でおやめになる際、一番強く思ったのは、学生諸君がレッスンを通じて、藤井さんという存在を知ること、その音楽に触れること自体が宝物で、それが奪われるのは日本の音楽の損失ということでした。

 でもあれからたった3年で、こんなことになってしまうとは・・・。

 演奏家として稀有の存在であるだけでなく、教育者としてここまで献身的な、音楽への愛に貫かれた人は、ちょっと地上に存在しないでしょう。

 藤井さんを知る人なら、これが全く大げさでないことが分かるはずです。

「藤井さんは人間国宝」「とんでもない、世界遺産よ」といった(還暦パーティで交わされたヴァイオリンの大谷康子さんたちの)やり取りを、展示されていた遺品の中で目にしました。

 本稿は、すでに十分長くなってしまったので、秋山先生のお話は別稿を準備したいと思います。

 ちょっとした怪我や予想外のショックで、とんでもないことが起こってしまいます。

 奇しくも1月の早生まれで、お誕生日を過ぎられた直後、突然流星のように去ってしまった藤井一興、秋山和慶の2人の音楽家は、いずれも卓越した演奏家であると同時に、愛情あふれる素晴らしい教育者でもありました。

 ここにぽっかりと空いてしまった「穴」を埋めるのは、至難というより不可能で、新たに別の積み重ねを、また一からやり直すしかない。

 悔やんでも悔やみきれない損失としか言いようがありません。

 同時に、重ねて記しますが、こうした不幸は生ある私たち誰もが突然直面しうるリスクと戒める必要があるでしょう。

 心からご冥福をなどという言葉を記す気にも、まだなれません。

 あまりにも惜しく、また口惜しく、これからいろいろご一緒しようと思っていたところなのに、言葉になりません。

 なお本稿準備にあたっては、藤井さんのピアノの生徒で、マリア・クルチオ女史にも師事された大阪音楽大学ピアノ科教授、土井緑先生に貴重なご教示を賜りました。感謝とともに記します。(つづく)