ブラームスからのピンポン玉ラリー
藤井さんは1955年1月、東京都中野区に生まれ、東京芸術大学付属音楽高等学校~東京芸術大学作曲科に進学後、フルートの林りり子先生(1926-74、作曲の林光さんの従姉にもあたります)と出会われ、「あなたはフランスで勉強すべき」と勧められたそうです。
それまでの藤井さんは作曲第二講座で長谷川良夫教授、 南弘明助教授 などドイツ系の師に学びますが、ピアノは早くから安川加寿子(パリ育ち、日本語よりフランス語の方が流暢)、井上双葉(シドニー生まれ、ベルリン~ブダペストで育たれ、
芸大3年次でパリ音楽院に留学、作曲をオリヴィエ・メシアン、ピアノをメシアン夫人のイヴォンヌ・ロリオ、ピアノ伴奏をアンリエット・ピュイグ=ロジェの各氏に学び1等賞(プルミエ・プリ)を得て修了します。
ロリオ夫人から「あなたは作曲家だけれど、ピアノも継続して学び続けた方がよい」とアドバイスを受け、エコール・ノルマル音楽院でピアノ高等演奏家資格1等賞を獲得。
アルゲリッチ、ルプー、内田光子各氏など多くのピアニストを育てたマリア・クルチオ夫人にも師事します。
このクルチオ夫人、ユダヤ人青年の恋人をアムステルダムの屋根裏部屋に隠し、食べ物を運んで延命させる「アンネの日記」のアンネ・フランク同様の苦境を乗り切っています。
その恋人、ペーター・ダイアモンドは戦後欧州の大音楽プロデューサーとしてカラヤン、ショルティなどのマネジメントを手がけました。
長年コラボレートしている詩人フランク・ダイアモンドの伯父、伯母にあたるので、彼らが師のアルトゥール・シュナーベル(1882-1951)と卓球を楽しんだこと、この卓球の趣味はシュナーベルが少年時代、可愛がってもらったヨハネス・ブラームス(1833-97)直伝だそうで、ピンポン玉のラリーと並行してブラームス~シュナーベル~クルチオ女史の生徒たちまで、手渡しで音楽づくりが伝えられている。
そんな伝統の正当な後継者の一人に、藤井一興さんもおられたわけです。
クラシックの楽統は決して本の中にあるわけではない。あなたが習った先生の先生の先生・・・の先に、ブラームスさんもいれば、ベートーヴェンさんもいる。
そういう等身大の感覚が、もっと日本の音楽界にあってよいと強く思います。