Tatyana KazakovaによるPixabayからの画像

 昨日まで元気に仕事していた人が、突然この世を去ってしまう・・・。

 あってはならないことが、2025年1月、日本のクラシック音楽界で立て続けに起きてしまいました。

 作曲家=ピアニスト、藤井一興(1955年1月4日-2025年1月18日)、そして指揮者、秋山和慶(1941年1月2日-2025年1月26日)。

 今回は、音楽という特殊なフィールドの話題としてではなく、いつ誰に襲い掛かっても不思議ではないリスクの問題として、読者の皆さんにも一緒に考えていただけたらと思います。

 秋山先生は昨年の大みそか、指揮活動60年祝いの面もあったミューザ川崎シンフォニーホールで開かれたジルベスター(年越し)コンサート で、サン・サーンス「交響曲第3番 オルガン付き」などの指揮台に、いつも通りに乗っておられました。

 藤井さんに至っては、今年1月8日の豊洲シビックセンターホール「天よりささやく万華鏡 ~フォーレの名曲の数々~ 藤井一興 フォーレ室内楽演奏会」で、フォーレのピアノ三重奏曲や自作のソロ、デュオなどを演奏。

 その後も東邦音楽大学での期末実技試験の採点など、ごく普通の日常生活を送っておられた。

 なのに、いま2025年2月、お2人ともこの世におられない。

 音楽家だって普通の人間です。突然襲い掛かって来た不幸が命を奪い去ってしまいました。あり得ないことで、いまもって信じられません。

誰にでもありうる転倒、突発的発作

 秋山先生の「お別れ会」は平日に開かれ、私は大学院試験面接など公務に重なってお伺いできませんでしたが、藤井さんは日曜日の式でしたのでお見送りできました。

 先に記しますと、秋山先生は今年1月1日、元旦のちょっとした作業中に転倒、重度の頸椎損傷で1月23日に入院のまま指揮活動の引退を発表されましたが、肺炎を併発され3日後の26日にご逝去。

 藤井さんについては、医師のお姉さまから集まった会葬者に愛情あふれるご説明がありましたので簡単に触れますと、ごく普通に生活していたものが、この冬の寒い中、お風呂場で発作に襲われたとのことでした。

 1月17日東京の最低気温は「1℃」、18日は「0.8 ℃」、いずれも水の比重が一番大きい「雪解け水」の温度「4℃」より低いのが気になります(氷は比重が軽いので水に浮く)。

 5月の連休など、まだ梅雨前で山頂が白い時期は、川の雪解け水に不用意に飛び込んで4℃の水に触れると水難事故が起こりやすい。

 冬の浴室は思わぬ危険が潜んでいる場合があります。

 転倒も、突然の発作も、いつ誰に襲い掛かってきても不思議ではありません。

 本稿は斎場から戻ってきたところで書いてますが、式にうかがうまでは、こうしたことを書くとは思っていなかったのです。

 しかし、奇跡のように美しい音楽葬に列させていただき、思うところ深く、以下も記そうと思いました。

 藤井さんの告別式は無宗教様式の「音楽葬」と呼ぶべきもので、冒頭から録音で演奏が披露されました。

 最初はご自身の作品「ピアノのためのモンサンミシェル(2020)」、続く藤井さんご自身のピアノでフォーレの「夜想曲第六番」の演奏後には、音楽そのものの充実に対して会場から拍手が沸き起こりました。

 私も60年生きてきましたが、棺の前で拍手が沸き起こる告別式は初めての経験、演奏家冥利に尽きるとはこういうことかと、音楽家の生きざまを改めて教えていただいたように思っています。