角岡氏が体験した差別

──どのような差別があったのですか。

角岡:例えば、1995年の阪神淡路大震災の後、被災者の方々に取材をしていたときのことです。

 ある年配の女性から阪神淡路大震災で引っ越しを余儀なくされたという話を聞く機会がありました。その中で、彼女は「引っ越した先が部落だった」ということを指を4本出すジェスチャーで示したのです。

 もちろん、彼女は私が部落の出身であることを知りません。ただ、彼女は自分の新しい家が部落にあることを知らなかった、そして、その事実を知って非常にショックだったことを伝えたかったのでしょう。

 なぜ彼女がショックを受けたのかというと、その根源には部落差別があります。

 大人になり、そういった場面に出くわすことが何度かあり「部落差別は存在している」と実感するようになりました。

──今でも差別を受けることはありますか。

角岡:直接的に受けることはほとんどありません。ただ、先ほど説明した女性のように、間接的に部落差別を見る機会は多くなりました。

 私の場合、仕事で部落の問題を取材しているので、本やインターネットで部落がどのように語られているのかを調べることがあります。そこで語られている部落は悪口であったり、マイナスイメージが付きまとったりするようなものばかりです。

 インターネットの普及により、部落差別が見えやすい時代になってしまったと思っています。

──ネット上では、被差別部落はどのように描かれているのでしょうか。

角岡: 1871年にいわゆる解放令が布告され、穢多(えた)・非人などの呼称は廃止されたはずでした。にもかかわらず、あそこは部落だ、あの人は部落民だということを周囲の人たちは言い続けました。それが、現在まで続いています。