
この世にはさまざまな差別や偏見がある。被差別部落の問題もその一つであり、1世紀余りにわたって当事者たちは闘い続けてきた。ただ、2002年に同和対策事業が終了し、国としての政策には一区切りがついたが、自身も被差別部落出身の角岡伸彦氏(フリーライター)は「部落問題は依然として存在している」「ネットの普及により部落差別は再燃している」と強調する。
現在、部落問題はどの地点にあるのか。『よりみち部落問題』(筑摩書房)を上梓した角岡氏に話を聞いた。(聞き手:関瑶子、ライター&ビデオクリエイター)
──書籍の中に「被差別部落は住みやすいところではなく、利点もあり難点もあり、それは部落外と同様である」とありました。被差別部落に住むメリットとデメリットについて、教えてください。
角岡伸彦氏(以下、角岡):1960年代以前、部落には差別と貧困が集中していました。老朽化した住宅が建ち並び、その間を狭い道が抜けていくような街並みが見られました。
1969年から始まった同和対策事業では、差別と貧困に対して徹底的な対策が実施されました。同和対策事業は2002年まで続けられ、住宅の改修なども十分になされたので、今ではどこが部落か、はたから見ればわかりにくい状態にまでなりました。
また、貧困対策という文脈で部落の中には多くの福祉施設がつくられ、福祉政策も充実しました。それらの精神を引き継いでいる地区は、社会的弱者にやさしい街と言えるでしょう。これが部落に住むメリットです。
デメリットとしては、やはり差別が挙げられます。部落はかねてから差別の対象であり、現在でも「怖い」といったマイナスイメージで見る人がいます。
──角岡さんは被差別部落のご出身ですが、差別を受けた経験はありますか。
角岡:子どもの頃はなかったと思います。その意味では“幸せな部落民”だと思います。
幼少期の私は、部落の問題を理解していませんでした。私の父方、母方の祖父ともに、部落差別を発端とした事件で逮捕された経験がありましたが、それを初めて聞いた中学生のときですら、ピンときませんでした。
──いつ頃から、部落問題を意識するようになったのですか。
角岡:社会人になってからです。学生時代は部落問題を強く意識することはありませんでしたが、自分が部落の出身であることを周囲に伝えるのにはためらいがありました。
社会が部落に対してマイナスイメージを持っていることは十分に理解していましたので、ルーツに関してコンプレックスがあったのかもしれません。なんとなく、もやもやした日々を過ごしていたことを憶えています。
ただ、社会に出て、実際に部落差別に出くわして、身をもって部落問題を意識するようになっていきました。