スクープ記者は会見でネタを探さない

 さらに指摘すれば、そもそもこのような記者会見に中居氏のスクープを昨年末に報道した週刊誌の記者たちはほとんど興味を持っていないのである。新聞社やテレビ局の記者は、この会見の内容をストレートニュースとして伝えなければならないので、もちろん取材する。しかし、週刊誌のトップ屋にとって、大勢の同業者がいる会見場はネタが転がっている場所ではない。ましてや、苦労して仕込んだネタを、衆人環視の中でぶつけるような真似はしないのだ。

 独自の情報を握り大きなスクープを飛ばそうとすれば、翌週、翌々週の号にどうネタを振り分けするかを計算している。ターゲットに当たるのは個別にやらないと意味がない。だから週刊誌の記者は、余程のことが無い限り、あのような場所でマイクを握って質問をすることなどないのだ。

 191媒体473人も集まり10時間以上に及んだ記者会見であったが、底の浅い質問に終始した質問者側と徹底的に防戦しているフジ側のとの大きな溝が埋まることは結局なかった。というか両者が歩み寄る会見ではなく、双方が違う方向を見ているのだからグダグダと称されてもしょうがない茶番だったのである。

 そしてこの問題追及の先頭に立っている週刊文春は、この会見が始まる直前、ネットで〈事件当日の会食について「X子さんはフジ編成幹部A氏に誘われた」としていました。しかし、その後の取材により「X子さんは中居氏に誘われた」「A氏がセッティングしている会の“延長”と認識していた」ということが判明したため〉と、これまでの記事内容を“修正”すると公表した。

 文春側は〈A氏が件のトラブルに関与した事実は変わらないと考えています〉とは言うもの、こうなってくると、女性の上司、あるいはフジテレビという組織の関与の度合いについて、だいぶ印象が違ってくる。

 だが会見では、自分たちの取材で得た情報ではなく、週刊誌のもともとの記事の情報を元に質問をしていた記者が大半で、これも結果的にピント外れの質問を大量に生む要因となった。

 窮地のフジテレビが開いた異例のロングラン会見は、同社のガバナンスの不全を示すとともに、日本のジャーナリズムの貧困さを世間に知らしめる結果となったと言える。