炸裂するポルノ作家の矜持と底力
元来、田亀源五郎はゲイポルノ界隈では伝説的作家である。私も彼のポルノ作品をいくつか読んだが、「熊系(筋骨逞しく体毛も濃いタイプ)」の男性が、あらゆるシチュエーションで凌辱されるハードSMばかりで、ヘテロの私でさえクラクラするような色気に満ちている。
読者を欲情させるためのジャンルであるポルノには、ゲイであろうがヘテロであろうがその実力に境界線は存在しない。ある種の生真面目さと研ぎ澄まされた技術が必要になるものである。エロティシズムとフェティシズムに対する無私の献身性がなければ、良いポルノには絶対に仕上がらない。
田亀の描くポルノは至極ダーティなものだが、彼の描く線は非常に細く繊細で、極限まで抑揚がおさえられている。繊細な線描の画風としては、かわぐちかいじや大友克洋などの影響が見られるが、ポルノとしては山本直樹の線にも同様のエロティシズムがある。
そんな田亀が「フツーの漫画」を描いた作品が『弟の夫』なわけであるが、持ち前のエロティシズムはそこかしこに散りばめられている。入浴シーンの裸体や体毛の描写など、ホームドラマに似つかわしくない入念な描き込みでそれを見ることができる。
作中に出てくる男性がほぼ一様に「熊系」のキャラクターだったりするのも興味深い。女性キャラクターの性的な匂いがほとんど皆無であるのに対し、男性キャラクターに対する執着は並々ならぬものを感じる。この辺もポルノ漫画家としての矜持を感じさせる。ポルノ作家もゲイも、色眼鏡で見られる存在だが、その分誇り高い存在なのだ。
「ホモオダさん家の、ホモオさんは、ホモなんじゃないかって…」
とんねるずが90年代にやっていたコントで、あからさまにゲイを揶揄したものがあった。当時少年だった私たちは、クラスでそのモノマネをよくしたものであった。私の子供の頃(1980年代)は、ゲイという言葉は殆ど「オカマ」とか「ホモ」という言葉と同義だった。当時の私は、「オカマ」といえばおすぎとピーコや美輪明宏くらいしか知らず、100万人に一人くらいしかいないと思っていたし、キモチ悪いものだと感じていた。そして、クラスの誰かがそこで傷ついているかもしれないなんて、気にも留めなかった。
多様性が重視される一方、世の中はどんどん窮屈になっていくばかりだが、同性愛に対する認識がかつてより大きく変わったのは良い変化であろう。それは、1969年ニューヨークで起こった「ストーンウォールの反乱」以来、今の今まで田亀源五郎を含めた同性愛者たちのアーティストや活動家たちが必死に積み上げてきた訴えの上に成り立っているのだ。
ゲイから見た世界を垣間見る絶好の良書である。是非堪能して頂きたい。
(編集協力:春燈社 小西眞由美)