(文星芸術大学非常勤講師:石川 展光)
「チ」は地動説の「地」、知恵の「知」、そして「血」
オリオン座のベテルギウスが超新星爆発を起こすと、その光は640年後に地球に届くらしい。つまり今夜、私たちがそれを見るとすれば、その光は1380年ごろのそれなのである。それは、ほぼこの物語の時代の光、ということになる。
15世紀──まだ天体が地球の周りを動いているとされた時代。
今回取り上げる魚豊著「チ。―地球の運動について―」の舞台はヨーロッパの某国である。キリスト教の影響は今では考えられぬほど強力に人々を支配し、文字の読み書き(ラテン語)は特権階級だけが持つスキルであり、そして「個人」という概念はないに等しい世界の物語だ。
「チ。」は惨たらしく、殺伐とした物語である。
決してハートウォーミングなヒューマンドラマではない。しかし見事な「人間讃歌」だと言い切れる。
地動説をめぐる群像劇が、きわめてスリリングに描かれた傑作だ。珍妙なタイトルだが、これは地動説の「地」、知恵の「知」、そしてそこで流される「血」の音読みに由来している。そして主人公不在にも思える物語の主役は、まさにこの「チ」であると言っても過言ではない。多くの名作に共通していることだが、端的で秀逸なタイトルである。
異端審問による拷問シーンから、この血生臭い物語は始まる。老若男女を問わず、登場人物の誰がいつ死ぬかわからない。サスペンスに満ちた展開が、ページをめくる手を加速させてくれる。お世辞にもすごい画力とは言えないが、作品の品質には全く問題ない。今や漫画は「画力が3割」だと言っていい。ストーリー、構成、キャラクター、セリフ、コマ割りから、いわゆる “めくり”(左ページ左下のコマ)まで考え尽くされている(その点では「進撃の巨人」に近い)。
最後までまるで先が読めない、ミステリーとしてもきわめて優れている。ギャグシーンもないではないが、今風の乾いた笑いだ。