(宮崎園子:広島在住フリーランス記者)
すでに市民の半数以上は「震災を経験していない人」になった神戸
「30年」という時間が過ぎる、ということはどういうことか。その時生まれた子が30歳になる。大学受験生だったわたしはもう40代も半ばを超えた。ただ、自身にその体験あるいは記憶がない人にとっては、強烈で明確な「起点」がないため、なかなか捉えにくい。体験はないが、取材記者として23年それを見つめてきたわたしも、年が変わって2025年となり、しきりに「30年」という塊の時間について考え始めている。
1995年1月17日午前5時46分、未明の大都市を襲った大地震は、当初兵庫県南部地震と言われ、25万棟もの家屋を全半壊させ、犠牲者6434人の8割を圧死させた。地元新聞社の発災10年後の報道によると、犠牲者の7割が集中した神戸市では、人口の4割が、震災後に転入してきた、あるいは震災後に生まれた震災を知らない人たちだという。それからまた10年、おそらく現人口の半数は、震災を知らない計算となる。
その後「阪神淡路大震災」と呼ばれるようになり、当時関東大震災以来最悪の自然災害被害だとか、戦後最大の自然災害などと言われたその「震災」も、2011年の東日本大震災によって多くの人たちの記憶が上書きされてしまった。「30年」という月日の長さを、改めて感じる。
その未曾有の大災害からちょうど30年となる1月17日、被災地・神戸を舞台にしたある映画が全国で公開される。『港に灯がともる』。阪神淡路大震災直後に生まれた一人の在日韓国人の女性を主人公に、家族の中の断絶や、それぞれが抱える傷について描きつつ、「震災から30年」とは何か、「人間の心の再生」とは何かを静かに問いかける内容の映画だ。