体験していない事実に向き合うということ

 富田望生演じる主人公の灯(あかり)は、震災直後に生まれたため、「復興とともに大きくなった子どもたち」というある種のストーリーが人生につきまとってきた。

映画『港に灯がともる』より ©Minato Studio 2025
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 自分が知らない、体験したこともない何かによって、他者から自分の存在を意味付けされるのが、いかにしんどいことか。そんな彼女は、家族の中にずっと横たわってきた軋みのようなものを通して、震災の傷を察し、家族の中のある種の断絶にも気づいていく。

映画『港に灯がともる』より ©Minato Studio 2025
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 そして、震災とは関係なくずっと前から存在してきた、家族の生きづらさにも気付かされていく。

映画『港に灯がともる』より ©Minato Studio 2025
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 震災を知らない一人の人間が、家族との衝突、そして自分自身の再起のプロセスを通じて、我がまちの傷を知り、その再生に自分を重ね合わせていく。

映画『港に灯がともる』より ©Minato Studio 2025
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 阪神淡路大震災がテーマであることには違いないのだが、いわゆる「被災地」のシーンは、ほとんど画面には現れない。何年の時点のエピソードなのか、とか、その場所がどこなのか、といった説明チックなテロップも基本的に排除されている。約2時間、スクリーンに映し出されるのは、映画の中で時を刻んでいく主人公たちの表情、そして人間と人間との間に流れる空気や間の連続。それらを通して、震災とは何かが浮かび上がってくる。

映画『港に灯がともる』より ©Minato Studio 2025
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 そんな映画の中で唯一と言っていいほど、リアリティを持って登場する場所がある。甚大な被害を受けた長田区の一画で、戦災も震災も乗り越えて佇む丸五市場という古い市場だ。100年以上の歴史を刻み、地域住民の台所として役割を果たしてきた市場は、1995年1月17日が規定の定休日である月曜日だったことで火災による焼失を免れ、巨大地震によって広範囲が崩壊・焼失した街の片隅で、地域の人たちの心の拠り所となってその後の月日を刻んできた。この場所は、実際の名称で映画に登場し、灯の再起、そして気づきの舞台として重要な役割を果たしている。