4kmにわたって続く黒潮町の砂浜(写真:黒潮町)
4kmにわたって続く黒潮町の砂浜(写真:黒潮町)

 能登半島地震から1年。震災への備えは日本全体の課題だ。東日本大震災で甚大な被害を受けた東北地方の太平洋沿岸では、総延長400kmを超える巨大な防潮堤が建設された。もっとも、津波リスクを前に、防潮堤ではなく「逃げる」ことを選択した自治体がある。南海トラフ巨大地震の被害想定で、国内最大級の津波高34.4mが想定された高知県黒潮町である。

 豊かな自然の恵みを享受してきた日本だが、その自然は時に脅威となって私たちに襲いかかる。自然と共存する私たちは自然とどう向き合えばいいのか。黒潮町の南海トラフ地震・津波防災計画の策定を主導した当時の情報防災課長で、後に町長を務めた松本敏郎氏に話を聞いた【前編】。(聞き手:篠原匡、編集者・ジャーナリスト)

>>町の景色を大きく変えた、東北の太平洋岸に建設された防潮堤の数々(写真8点)

──東日本大震災の翌年、黒潮町は「逃げる」を合言葉にした南海トラフ地震・津波防災計画を打ち出しました。当時は津波に対しては巨大防潮堤で対応するという声が支配的だったように思います。その中で、なぜ黒潮町は防潮堤ではなく「逃げる」を選んだのでしょうか。

松本敏郎氏(以下、松本):東日本大震災の1年後、2012年3月31日に内閣府中央防災会議が南海トラフ巨大地震による震度分布・津波高の推計を発表しました(一次報告)。黒潮町は国内で最も高い津波が押し寄せる「最大震度7、最大津波高34.4m、津波の到着まで最短2分」という衝撃的な数字です。

 そして発表当日、内閣府の発表を待つため、私を含め、すべての幹部が役場に集まりました。既に発表内容を知らされていたのでしょう。役場の周りにはマスコミが集まり、上空にはヘリが飛んでいました。

 幹部職員は集まったものの、内閣府からの発表を待つだけの会合です。誰かが何かを話すわけではなく、お通夜のような雰囲気でした。

 翌4月1日は日曜日でしたが、新聞などの報道を見て驚いた住民から問い合わせが来ることは間違いありません。そこで、私たちは住民の問い合わせに答えるため、集められる資料を集め、役所でスタンバイしていました。ところが、1件も問い合わせが来なかったんです。

──取材でしばしば高知に行っていたため私も記憶に残っていますが、黒潮町の「最大津波高34.4m」は大きな話題になりました。どうして住民は反応しなかったのでしょう?

松本:想像を超える津波高を見て、住民は避難することをあきらめたんです。

東北各地の沿岸にできた防潮堤。町の景色は大きく変わった(写真:共同通信社、以下同)東北各地の沿岸にできた防潮堤。町の景色は大きく変わった(写真:共同通信社、以下同)