能登半島地震から1年。震災への備えは日本全体の課題だ。東日本大震災で甚大な被害を受けた東北地方の太平洋沿岸では、総延長400kmを超える巨大な防潮堤が建設された。もっとも、津波リスクを前に、防潮堤ではなく「逃げる」ことを選択した自治体がある。南海トラフ巨大地震の被害想定で、国内最大級の津波高34.4mが想定された高知県黒潮町である。
豊かな自然の恵みを享受してきた日本だが、その自然は時に脅威となって私たちに襲いかかる。自然と共存する私たちは自然とどう向き合えばいいのか。黒潮町の南海トラフ地震・津波防災計画の策定を主導した当時の情報防災課長で、後に町長を務めた松本敏郎氏に話を聞いた【後編】。(聞き手:篠原匡、編集者・ジャーナリスト)
【前編から読む】南海トラフで最大34.4mの津波が襲来する高知県黒潮町、防潮堤ではなく「逃げる」を選択した背景にある思想
>>デザインからしておいしそう!防災関連産業として設立した第三セクター、黒潮町缶詰製作所の色とりどりの缶詰(画像5点)
──具体的にどのような防災計画を構築したのでしょうか。
松本:最初に導入したのは、職員防災地域担当制です。
防災計画を考え始めた当時、黒潮町の職員は保育士や学校の教員などを含め190人しかいませんでした。国の想定だと、黒潮町は町内61地区のうち40地区が浸水区域になるため、広範囲な対策を素早く進める必要がありましたが、防災担当職員を増やせる状況にはありませんでした。
そこで、全職員が通常業務に加えて防災業務を兼務する体制を整備しました。それぞれの地区に担当職員を配置したのです。
私が情報防災課の課長だった5年間、住民参加のワークショップを1000回以上開催しました。このような地域と行政の協業体制ができたのも、職員がそれぞれの地域を担当していたから。職員防災地域担当制は、黒潮町の地震・津波対策が短期間で進展した大きな要因だと考えています。
──次は何をしたのでしょうか。
松本:戸別津波避難カルテづくりです。世帯ごとの家族構成や連絡先に始まり、避難を予定している避難場所やその経路、避難経路の障害、自力で避難できるかどうかなど、病院のカルテのように細かく情報を書き込んだものです。
その上で、地区防災計画を策定しました。ワークショップを通じて計画された避難道に対応するため、土地所有者との用地交渉なども進めました。計画された避難場所は168カ所、避難道は295路線、津波の予測到達時間内に高台に避難することが難しい地域には、津波避難タワーを6基整備しています。
──住民の意識は変わったのでしょうか。