なぜ住民の意識は2年間で劇的に変わったのか?
松本:最初のうちは行政の取り組みが住民にあまり見えなかったので不安に感じたかもしれませんが、避難道の整備に始まり、戸別津波避難カルテなどを通して防災対策が可視化されたため、自分のこととして捉えてくれる住民が増えたように思います。
よく例に出すのですが、住民の意識の変化を示す例として、ある住民の詠んだ短歌があります。最大津波高34.4mが出た2012年に、その方が詠んだ短歌は以下のような歌でした。
大津波 来たらば共に死んでやる 今日も息(こ)が言う 足萎え吾に
足の悪い母親を連れて避難することをあきらめた息子について詠んだ歌です。ところが、避難訓練などが始まった2014年に同じ人が詠んだ歌はガラッと内容が変わっていました。
この命 落としはせぬと 足萎えの 我は行きたり 避難訓練
足が悪い自分ではあるけれども、生き残るために避難訓練に向かうということを詠んだ歌です。
──内容がポジティブになっていますね。
松本:職員防災地域担当制や戸別津波避難カルテ、避難所や避難道などが整備されたことで、避難することがリアリティを持って語られるようになったのだと思います。
また、避難するというだけでなく、34.4mを旗印に、新しい産業をおこすことも意識しました。