絶望の中から生まれた南海トラフと付き合う思想
松本:そう考えるのもわかります。発表の後、私は情報防災課の部下と黒潮町の地図を広げました。最大津波高が34.4mとして、津波が駆け上がるリスクも考えて標高40m以下の地域を塗りつぶしたら、町のほとんどが消えましたから。
ただ、国が発表した34.4mの最大津波高はあくまでも想定で、必ず34.4mの津波が来るわけではありません。現実には5mの津波しか来ないかもしれない。でも、5mの津波であれば避難で助かるのに、34.4mが来ると思ってあきらめて家に残っていれば、5mの津波でも死んでしまいます。これは、本当に恐ろしいことです。
──数字が一人歩きして誤解を招いてしまったんですね。
松本:それと、これまでのまちづくりを否定されたことも、黒潮町としては悲しいことでした。
黒潮町は、4kmの砂浜を美術館に見立てた砂浜美術館や砂浜を舞台にしたTシャツアート展、ホエールウォッチング、地場産業である鰹の一本釣りなど、海を軸にした自然環境を誇ってきました。
ところが、最大津波高34.4mによって、黒潮町の海は危ない海になってしまいました。私は35年前の砂浜美術館の立ち上げからかかわっていますから、余計に悲しかった。
──コンセプトを生み落としたデザイナーの梅原真さんと砂浜美術館を作り上げたのは、当時、企画調整係にいた松本さんでした。
松本:はい。黒潮町のまちづくりは砂浜美術館の考え方を大切にしてきました。
そして、週が明けた4月2日の月曜日、全職員向けの訓示で、当時の大西勝也町長は「これまでの町の営みを否定するような考えや発言は一切禁じる」「発言はすべて課題解決につながる前向きなものにするように」と述べました。住民をこれ以上不安にさせないということです。
ただ、南海トラフ巨大地震に町としてどう対応するのかという議論はこれからです。その週の金曜、私は大西町長のところに行き、「さて、何から始めましょうか」と聞きました。私は、4月1日から新設された情報防災課の課長に就任していましたので、南海トラフ巨大地震の防災計画を考える責務を負っていました。