(前編から読む)
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「にいちゃん、いい子おるよ」という遣り手婆の呼び込みと、赤絨毯の上がり框(かまち)に座った女性の嬌声が響く飛田(とびた)新地の片隅に、往事の雰囲気を伝える廃屋が遺されている。「満すみ(ますみ)」だ。内部は老朽化が進んでおり、ところどころ床が腐っている。だが、一歩中に足を踏み入れれば、「飛田遊廓」と呼ばれた時代の記憶が色鮮やかによみがえる。
飛田遊廓の前身となる遊廓はもともと今のなんばにあったが、明治45(1912)年に起きた「ミナミの大火」によって全焼し、今の飛田新地の場所に移設された。その際に、デベロッパーが遊廓全体を計画的に開発したため、今の「鯛よし百番」に残る豪壮な木造建築が整然と並ぶ独特の景観を生み出すことになった。
前編で述べたように、妓楼建築の特徴は伝統的な書院造を崩した数寄屋風などと称せられる。ただ、それ以外にも飛田遊廓には当時の遊廓に特有の建築上の特徴が見て取れる。中庭の存在だ。事実、戦前の飛田遊廓の空中写真を見ると、正方形の遊廓の中心に中庭があるのが確認できる。