飛田会館の感染症対策の驚くべき仕組み

 飛田新地が造成された大正時代半ばから昭和初期にかけて、公衆衛生上の脅威は肺結核だった。大勢の客で賑わう遊廓はクラスター化の恐れが常にあり、肺結核など感染症対策が最重要視された。その対策の一つとして設けられたのが換気装置としての中庭である。

 日中、日が昇り中庭が暖められると上昇気流が発生する。この上昇気流が中庭に面した座敷の空気を吸い込み、上空に逃がしたのだ。肺結核にかかった娼妓を中庭に面した3階の布団部屋に隔離したのも、そこが空気の出口だったからだ。

布団部屋から外を望む
かなり老朽化が進んでいる

 飛田遊廓が感染症対策に注力していた様は、飛田会館でも見て取れる。飛田会館の2階にある検査場には、室内を圧力調整に用いられたと思われるファンが遺されている。また、検査場の床は板が外せるようになっている場所がある。この下に医者が待機し、上を娼妓の女性が歩くことで梅毒の有無を検査していたという。

飛田会館の検査場
室内の圧力調整に使われたとみられるファン