明治期の鉄道遺産が豊富な勝沼ぶどう郷駅周辺

 路線の開業後、当地名産のぶどうの輸送の利便性を図るため、地元の要望を受けて大正2(1913)年にスイッチバック式の駅が設けられた。これが旧勝沼駅だ。ホーム跡に下りてみると現在の駅ホームとの高低差を肌で感じられる。平坦なホームを利用して長編成の貨物列車の荷物の積み下ろしが可能になり、当時農業が産業の中心だったこの地域においてぶどうの販路を飛躍的に拡大する効果をもたらした。

現在の勝沼ぶどう郷駅からスイッチバックの旧ホーム跡を見下ろす。旧ホーム跡は塩山側の一部が残るが、運行当時は長いホームと駅舎が設けられていた

 ホーム跡と勝沼ぶどう郷駅の間の道路にある菱山道路隧道も明治当時の貴重な土木産業遺産で、線路の下を通ることから通称「菱山ガード」と呼ばれる。この長さ29mのトンネルは勾配上にあり、2つのトンネルが連結された珍しい形状だ。

 勾配の上部は明治36(1903)年の中央本線開通時のもので、下部は大正2年の勝沼駅開業に伴いスイッチバックの引き込み線を通過させるために増設された。上部は明治期につくられた煉瓦のところどころに隙間がありやや粗い印象だが、下部の煉瓦は整然と積層されており、製造技術の進歩も見て取れる。

「菱山ガード」は鉄道建設の際に造られた煉瓦構造の道路トンネル
写真手前が明治の中央本線開通時のもので、奥が大正2年の駅およびスイッチバックの引き込み線増設にあたり延長された部分。煉瓦の積層状態に技術の変遷が感じられる
天候に恵まれれば、煉瓦ポータルの先の山々の眺望が素晴らしい