あまりにも有名な『紫式部日記』に書かれた清少納言への“悪口”

 一条天皇とはひと味違う三条天皇との関係に、道長も疲弊したのだろう。ドラマでは、まひろ(紫式部)のもとに足を運んでいる。

 癒やしを求めたのかもしれないが、まひろからは「道理を飛び越えて、敦成様を東宮に立てられたのはなぜでございますか。より強い力を持とうとされたのは」と言われてしまう。

 道長は「お前との約束を果たすためだ」と答えると、まひろは「それは違うのでは……」と言いたげな微妙な表情を見せた。

 この約束とは、寛和2(986)年に20歳前後の道長が10代のまひろに「都を出て2人で寄り添って暮らそう」と持ちかけると、まひろは「(道長には)より良き政をする使命がある」と一緒には行かないことを告げた。まひろの気持ちを受けて道長が「まひろの望む世を目指す」と決意を語ったのが、道長の「約束」である。

 だが、状況的に道長もまた、父の兼家と同じく一家の繁栄に走っているようにしか見えない。まひろは道長よりむしろ、彰子のほうへと心を寄り添わせていた。

 今回の放送では、一条天皇を失った悲しみに暮れる彰子を元気づけようと、まひろが和歌の会を催す。女房たちが和歌を楽しく詠んでいると、殴り込みのごとく、清少納言が登場。彰子に「もう敦康様のことは過ぎたことにおなりなのでございますね。このようにお楽しそうにお過ごしのこととは、思いもよらぬことでございました」と言い放つ場面があった。

 その場では何も言わなかったまひろだったが、よほど腹に据えかねたのだろう。日記にこうつづり出した。

「清少納言は得意げな顔をした、ひどい方になってしまった」

『紫式部日記』であまりにも有名な清少納言への悪口だ。日記では「あそこまで利巧ぶって漢字を書き散らしていますけれど、よく見れば学識の程度も、まだまだ足りないところだらけ」とあり、清少納言の教養にも文句をつけている。

 ドラマのようないきさつだと、少し批判のニュアンスと合わない気もするが、『光る君へ』での解釈が打ち出された点はよかったと思う。