大河ドラマ『光る君へ』では、はじめは良好であった紫式部(まひろ)とファーストサマーウイカが演じる清少納言(ききょう)の関係に暗雲が漂っている。今回は、この二人を比べてみたい。

文=鷹橋 忍 

紫式部 土佐光起画 石山寺蔵

紫式部と清少納言、どちらが年上?

 紫式部と清少納言はどちらが年上なのか。

 まず、清少納言の生年は諸説あるが、角田文衞『紫式部伝――その生涯と『源氏物語』――』によれば、康保3年(966)説が有力だという。

 康保3年説が正しいとすると、清少納言は藤原道長や町田啓太が演じる藤原公任と同年の生まれとなる。

 清少納言と同様に、紫式部の生年も諸説あるが、仮に有力だとされる天延元年(973)説で計算すると、紫式部より清少納言のほうが7歳年長となる。

 

どちらの家柄が格上?

 紫式部も清少納言も受領の娘で、どちらも中・下級貴族の家柄であったとされる。二人の曾祖父から見ていきたい。

 

●紫式部の曾祖父から父まで

 紫式部の父・岸谷五朗が演じる藤原為時も母の藤原為信の娘(ドラマでは国仲涼子が演じる「ちやは」)も、藤原氏北家の嫡流・藤原冬嗣の一門である。

 紫式部の父方の曾祖父・藤原兼輔は「堤中納言」と称された公卿だった。なお、後述する清少納言の曾祖父とされる清原深養父(きよはらのふかやぶ)は、兼輔の邸宅に招かれ、管弦を楽しんでいる。

 祖父の藤原雅正は、周防守、豊前守と受領を歴任したが、従五位下に留まった。

 父の藤原為時は、文章生出身の優れた学者であるが、極位は正五位下である。

 紫式部の母方の曾祖父・藤原文範は公卿に列している。

 

●清少納言の曾祖父から父まで

 清少納言は天武天皇の皇子・舎人親王の後胤を称する清原氏の出身である。

 清少納言の曾祖父とされる清原深養父(きよはらのふかやぶ)は、中古三十六歌仙の一人に数えられる著名な歌人である。

 だが、官位は高くなく、『中古歌仙三十六人伝』(『群書類従』巻65所収)に、延長8年(930)に諸司労20年で従五位下に叙されたことが記されている。

 祖父とされる清原春光(顕忠を祖父とする説あり)は、歌仙伝などに「従五以下・下総守」と記されているが、それ以上のことはわかっていない。

 父の清原元輔も歌人で、村上天皇の命により『後撰和歌集』の編纂や『万葉集』の読解を行なった「梨壺の五人」の一人である。周防守、肥後守など受領を歴任し、従五位上に叙されている。

 清少納言の母親については、よくわかっていない。

 以上のように、清少納言には曾祖父までたどっても公卿がいないことから、紫式部のほうが格上の家柄とみられている(丸山裕美子『日本史リブレット人20 清少納言と紫式部 和漢混淆の時代の宮の女房』)。