今回は、大河ドラマ『光る君へ』において、竜星涼が演じる藤原隆家を取り上げたい。

文=鷹橋 忍 

太宰府政庁跡 写真=show999/イメージマート

武勇の貴族

 藤原隆家は、天元2年(979)に生まれた。

 父は井浦新が演じた藤原道隆、母は板谷由夏が演じた高階貴子である。

 三浦翔平が演じる同母兄の藤原伊周より5歳年下、高畑充希が演じる同母姉の藤原定子より、2歳もしくは3歳年下。

 叔父にあたる藤原道長より13歳年下、塩野瑛久が演じる一条天皇より一つ年上となる。

 剛毅な性格だったといわれ、歴史物語『大鏡』第四巻「内大臣道隆」には、「世の中(天下)のさがな者」と世間から称されたとある。

 さがな者は「規格外の乱暴者・無鉄砲者」(関幸彦『刀伊の入寇 平安時代、最大の対外危機』)、「やんちゃ坊主」(石川徹校注『新潮日本古典集成 大鏡』)、「がむしゃら男」(保坂弘司『大鏡 全現代語訳』)などと訳される。

 平安貴族は武より文を重んじる傾向がみられるとされるが(山本淳子『源氏物語の時代 一条天皇と后たちのものがたり』)、隆家は武勇の人だったという。

 

道長との対立

 正暦元年(990)5月8日、隆家が数えで12歳のとき、病に倒れた段田安則が演じた祖父・藤原兼家が、道隆に関白の座を譲り、7月2日にこの世を去った。

 道隆は政権の座につき、「中関白家(道隆の一族)」の栄華がはじまった。

 同年7月、道隆は伊周を右中将、隆家を右兵衛権佐に任じるなど、子息たちを昇進させていく。

 10月には、一条天皇の後宮に入内していた定子を中宮に立てた。

 定子はいつしか一条天皇の寵愛を受けるようになり、正暦5年(994)8月、21歳の伊周は内大臣に任じられ、16歳の隆家は従三位に叙せられた。

 しかし、父・道隆は長徳元年(995)4月10日に病死し、新関白に任じられた玉置玲央が演じた藤原道兼も就任から10日余りで疫病のため没すると、道長が内覧に任じられ、政権の座に就いた。

 以後、伊周と隆家は、道長と対立を深めていく。

 秋山竜次が演じる藤原実資の日記『小右記』には、伊周と道長が会議の席で激しく口論したこと(同年7月24日条)、道長と隆家の従者が七条大路で合戦となったこと(同年7月27日条)などが記されている。