戦う貴族
刀伊の入寇とは、寛仁3年(1019)に、東部満州のツングース系の民族「東女真族」が、高麗を襲撃した後に、九州北部に攻め込んできた事件である(倉本一宏『平安貴族とは何か 三つの日記で読む実像』)。
多くの日本人が殺害、または拉致されるなど、甚大な被害をこうむったが、隆家は自ら指揮を執って戦い、九州の武士たちの奮戦もあり、見事に撃退した。
隆家の人望と的確な処置と戦う姿勢が、被害を最小限に抑えたと称すべきだという(倉本一宏『戦争の日本古代史 好太王碑、白村江から刀伊の入寇まで』)。
都からの文書には「功績者には褒美を与える」とあったため、隆家は11人の名簿(隆家の名はなし)を都に送ったが、隆家をはじめ、ほとんどの者が何も貰えなかった(倉本一宏『平安貴族とは何か 三つの日記で読む実像』)。
同年11月、隆家は大宰権帥を辞して京に戻り、寛徳元年(1044)の1月1日に、66歳で、この世を去った。
九州の武士たちを率いて、勇ましく戦う隆家を、我々視聴者は観ることができるのだろうか。