たびたび道長に「関白就任」を迫っていた三条天皇
今回の放送では、木村達成演じる三条天皇が、道長をけん制する場面が目立った。
まずは、内裏への遷御(せんぎょ)の日取りである。遷御とは、天皇や上皇、皇太后などが居所を移すこと。ドラマでは道長が「お上の内裏遷御の日取りを陰陽寮にはかっております」と三条天皇に説明するシーンがあった。
その結果として出た日が、亡き一条天皇の四十九日だった。しかし、道長がそのことを告げても、三条天皇は「構わぬ、四十九日でも移る」と決行している。
実際、一条天皇の四十九日にあたる寛弘8(1011)年8月11日に、三条天皇は遷御を行っている。反対の姿勢を示した道長は、三条天皇につき従わなかった。新体制のスタートから不穏な雰囲気が漂ったようだ。
また、三条天皇は道長を取り込もうとしたのだろう。道長を関白に就任させようとするが、道長はこれを固辞した。
というのも、関白になれば、公卿たちが議論する「陣定」(じんのさだめ)には出られなくなる。すでに関白同様の権力を持つ道長からすれば、一条天皇の時と同様に関白に準ずる「内覧」の地位にこだわった。内覧であれば、太政官で作成された文書を天皇に奏上する前に見ることができるからだ。
同年8月23日付の『御堂関白記』によると、三条天皇から右大弁(うだいべん:太政官に属して、文書事務や諸官司・諸国との連絡などを担当する官)の源道方(みなもとみちかた)を通じて、関白就任の要請があったという。
だが、道長は「それはできない、ということを申してきました」とある。日記には「これまでにも、同様の仰せがありましたが」ともあるので、三条天皇も粘ったのだろう。
ドラマでは、三条天皇が「左大臣、朕の関白となってもらいたい。朕の指南役として、そばにいてもらいたい」と要請。道長に断られると「それは誠に残念なことであるが、泣く泣く諦めることにいたそう」と引き下がっている。道長の関白就任については、これからも駆け引きが続くのだろうか。