義父の説得と100万ドル
ケネディの母親のローズ・エリザベス・フィッツジェラルド・ケネディ(1890-1995)は息子の女癖の悪さを認識していた。
彼女も実業家で英国大使を務めた夫ジョセフ・パトリック・“ジョー”・ケネディ・シニア(1888-1969)の数々の浮気に悩まされた経験を持つ。
ケネディの父親ジョセフは、1920年代の映画スター、グロリア・スワンソン(1899-1983)と3年間、愛人関係にあった。
J・F・ケネディが結婚しても、独身時代と変わらない度を超した女癖の悪さに、新妻ジャッキーはほとほと嫌気が差していた。
それだけでなく、自身の子供が死産したとの知らせを夫ケネディが聞いても、地中海でのクルーズから戻らなかったことで、ジャクリーンは離婚の決意を固めると、義妹エセル・ケネディにその意思を打ち明けた。
話はすぐに義父ジョセフ・ケネディに伝わった。慌てたジョセフはジャクリーンを呼び説得に努めた。
「カトリック教徒が離婚し、その原因が浮気となれば、息子の政治家としての有権者が抱くイメージは致命的となる」
「頼むから何とか婚姻生活を続けてくれないか」
「彼との間に子供が生まれたら1人につき100万ドルの報酬を与えよう」
このようにジャクリーンを説得、やっと思いとどまらせた。
ジャクリーンはその後、キャロライン(1957-)、ジョン・ジュニア(1960-1999)を続けて出産している。