ジャクリーンの再婚相手
ケネディが大統領に就任して2年10か月、夫が暗殺されたことでジャクリーンはホワイトハウスを去った。
大統領暗殺の1年後、シークレットサービスの警護が終了し、義弟であるロバート・ケネディが暗殺されたことで、子供たちの安全と自分の自由を手に入れるために彼女は、ギリシャの大富豪アリストテレス・オナシス(1906-1975)と1968年に再婚することを決意。
イタリアのシチリア島の東イオニア海に浮かぶスコルピオス島で、ジャクリーンとオナシスは式を挙げた。
だが、この婚姻生活は当初から愛情が通ったものではなく事前に、「子供を作らない」という契約書を事前に交していた。
オナシスから莫大なカネを吸い上げ、その見返りに彼女が夫オナシスに身体を委ねるという夫婦関係だったことで、世間からジャクリーンは高級売春婦と揶揄された。
自由を得たいと米国を出たジャクリーンだったが、スコルピオス島で水着を脱ぎ捨て、陰毛丸出しで寛ぐ姿をパパラッチに盗撮されてしまうと、その写真を米国の月刊ポルノ雑誌『Hustler(ハスラー)』誌の社主ラリー・フリントが買い取った。
そして、『10億ドルの茂み』というタイトルで公開したことで、世界中に大きな衝撃が走った。
ジャクリーンは、オナシスとの婚姻生活の時間の大半を豪華旅行や買い物に費やし、そうした生活はゴシップ誌の紙面を賑わせた。
そんな妻ジャクリーンに嫌気が差したオナシスは、彼女との関係を清算すべく離婚申請をしようと考えていた。
その矢先の1975年、フランスのヌイイ=シュル=セーヌにて気管支肺炎で亡くなった。
当時、遠く離れたニューヨークにいたジャクリーンは、夫オナシスの死に立ち会うことはなかった。
ジャクリーンは夫オナシスから手に入れた財産2600万ドルを、後のジャッキーの愛人でダイヤモンド王の大富豪モーリス・テンペルスマン(1929-) の手で利殖され、オナシスから彼女が相続した遺産は4倍以上に膨れ上がった。