シンギュラリティに到達した時、AIは人間をどのような存在とみなすのだろうか(写真:Space Wind/shutterstock)
(榎並 利博:行政システム株式会社 行政システム総研 顧問、蓼科情報株式会社 管理部 主任研究員)
ChatGPTの登場からすでに3年が経過した。生成AIを活用すべきか否か、どのように活用すべきかという議論の段階は超え、社会のあらゆる部分にAIが浸透しつつある。さらにAIが物理的な身体をまとう(フィジカルAI)ようになると、我々人間はロボットと共生する社会へと適応していかなくてはならない。
今年9月に発表された「7億人のChatGPTユーザ利用実態」では、ChatGPTの利用目的が仕事での利用から日常生活での利用へと変わっていることが明らかになった。また、当初問題とされたハルシネーションや偏見なども原因が究明され、まぁそのようなものだろうという受容や認識が広がっている。さらに、創造性や推論能力も人間の専売特許ではなさそうだ。
すでに米国ではレベル4(限定された条件でドライバーなし)の自動運転によるタクシー(ロボタクシー)が商用サービスに入っている。これはAIが身体を持つようになった典型的な例だ。さらに、ヒューマノイドロボット(人型ロボット)も2万ドルで発売され、掃除や食器の片づけなどの家事を行うという。
このように日常生活のなかで「他者」としてのAIの存在が大きくなると、外国人ヘイトのようにロボットに暴力を振るったり、アイドルのようにAIを崇拝・熱狂したりする人間も出てくる。
ある調査によれば、感情を共有できる人として対話型AI(64.9%)が親友(64.6%)や母親(62.7%)を超える存在になっており、この傾向は10代や20代の若者ほど強いそうだ。
AIの存在が大きくなるにつれ、AIに人格や人権を認めるべきかという議論も起きてくる。マイクロソフトAI部門のCEOのスレイマンは、「AIに人間のような意識は無い、SCAI(※)という考え方は危険だ」と警鐘を鳴らしている。
無論、生成AIはTransformerブロックが組み込まれたアルゴリズムであり、人間が持つような「意識」や「自己認識」があるとは考えられない。しかし、だからと言って簡単には片づけられない問題が2つある。
※SCAI:Seemingly Conscious AIの略。一見意識があるように見えるAIのこと。