ジャクリーンとの結婚
ケネディの人生を彩った代表的女性は妻ジャクリーン・リー・ブーヴィエ・ケネディ・オナシス(通称ジャッキー:1929-1994)である。
ジャッキーは1929年7月、富裕層の家庭に生まれた。
品のあるスタイリッシュなファッションは人々に注目され、世界中に模倣する女性が続出した。
J・F・ケネディが43歳で大統領に就任した1961年、ジャクリーンは31歳でファースト・レディとなる。
ケネディは生まれつき背骨に障害があり、恒常性偏頭痛、腰痛、排尿障害、前立腺の炎症、慢性原発性副腎皮質機能低下症(アジソン病)など、いくつかの健康上深刻な問題を抱えていた。
結婚後、特に彼を悩ませたのが腰痛の悪化で、松葉杖なしでは歩行が困難となり、靴下が履けないほど腰が曲がらなくなっていた。
検査の結果、第5腰椎がつぶれていることが見つかり医師団は手術を勧めた。だがアジソン病の影響で手術には、大きなリスクが伴う危険があると告知した。
ケネディは脊椎の手術を受けたが、術後の経過が悪く、一時危篤状態に陥った。なんとか回復するものの処方された薬の副作用影響で、以降、性欲が異常に昂進し始め、恒常性セックス依存症となっていた。
ケネディはジャクリーンという美しい妻と愛らしい子供たちに囲まれて、米国の理想的な家庭を築いているとの印象を世間は抱いていた。
だが、大統領の私生活は世間の清廉なイメージとは裏腹に、不道徳な性的行為にまみれた、愛人に囲まれたものであった。
ケネディは選挙運動で全米各地を遊説した時、スタッフや聴衆などで気に入った女性が目に入ると、遊説先のホテルの部屋に引っ張り込んだ。
「毎日、違う女とセックスしないと、偏頭痛がますます酷くなり、気分が冴えない」とケネディは言って憚らなかった。
当時、そうしたことは陣営スタッフだけでなくマスコミの間でも周知のことだったが、誰も気に留める者もいなかった。
人間は純粋性と不純性を兼ね備えており、下半身と上半身の人格は別ものである、という考え方が一般的だった。
よって政治家は未来に起こりうる事象を見通し、卓越した指導力で、効果的な政策を実行しながら、国家を導くことができたならば、多少、女性問題で羽目を外しても、とやかくいう風潮は、当時、なかったのだ。