伊周の遺言を無視した長男・道雅の「暴挙」

 今回の放送では、ドラマを動かしてきた2人のキーパーソンがこの世を去ることになった。そのうちの一人が、かつては道長のライバルだった藤原伊周(これちか)である。伊周は道長の兄・道隆の嫡男であり、道長のことは8歳年上の叔父にあたる。

 前回の放送では、第1皇子の敦康親王をないがしろにしないでほしいと道長に懇願しに行ったはずの伊周だったが、「すべてお前のせいだ!」と激高してしまい、2人は完全に決裂。今回の放送で、藤原公任(きんとう)から「伊周はだいぶ具合が悪いらしいな。道長、知っているか?」と水を向けられても「いや……」と言葉少なだった。

 寛弘7(1010)年に人生の最期を迎えた伊周。ドラマでは、少ない親族に最期を見守られながら、伊周は長男の藤原道雅(みちまさ)を枕元に呼び寄せた。そして「左大臣には従うな。低い官位に甘んじるくらいなら出家せよ。よいな」とくぎを刺し、道長への恨みを子の代まで引き継がせようとした。

 伊周の最期については、平安時代末期の歴史物語である『栄花物語』にも記されている。ドラマであったように、息子の道雅に「人並みの官位になりたいと、心にもない追従をしたりするくらいならば、出家して山林に逃れよ」といった趣旨の遺言を語ったとされている。

 実際に、その後の道雅はどうなったのか。翌年には、「春宮権亮」(とうぐうごんのすけ)という、皇太子の内政を担う役職に就き、敦成親王に仕えている。どうやら彰子の温情があったようだ。

 伊周の「出家せよ」との遺言はスルーして、うまく居場所を見つけたかにも見えたが、やがて道雅は密通事件や暴行事件などを起こし、トラブルメーカーとして大暴れする。幼少期は、祖父の道隆に溺愛されたという道雅。中関白家の没落が心に影を落としたのだろうか。