画家の人妻と恋に落ちる

 妻の死から4年経った1786年、ジェファソンが駐フランス米国大使を務めていたとき、パリで画家の人妻である美しいイタリア人女性マリア・コズウェイと出合い、激しい恋に落ちた。

 マリアは20歳年上の男性と結婚していたが、ジェファソンは彼女に夢中になった。

 パレ・ロワイヤルやオペラに連れ回したり、ピクニックや観光ツアーを一緒に楽しんだり、その後は白熱した情事に耽溺した。

 ジェファソンはマリア宛てにラブレターを送っている。

 そこには、「私の愛するマダム、私の貴女への心からの愛情と尊敬の気持ちを、貴女の記憶の中にいつまでも留めてください。最も忠実で謙虚なあなたの奉公人トーマス・ジェファソン」と綴られていた。

女性の奴隷を心から愛したジェファソン

「シェファソンの奴隷の一人、黒人女性サリー・ヘミングスがジェファソンの妾」と、1802年に新聞が報じている。

 当時、白人の奴隷所有者が奴隷の黒人女性と、性的関係を持つことはよくある話であった。

 ジェファソンとサリーの関係の始まりは、彼がパリで駐フランス米国公使を務めていた1787年、サリーは彼の9歳の末娘マリア・ポリー・ジェファーソンの専属家政婦として同行した頃からである。

 サリーの母ベティ・ヘミングスは英国人船長のジョン・ウェイルズとアフリカから連れてこられた黒人奴隷女性の間に生まれた。

 彼女は黒人の血を4分の1引いていて、ジェファソンの先妻マーサとは、血の繋がりのある異母姉妹だった。

 彼女はフランスに同行すると、すぐに最初の子供を妊娠。そして、その後、立て続けにジェファソンの子供を7人出産することになる。

 サリーはジェファソンから、「貴女は私の世界の一部」と言わしめるくらい、心の底から愛されていた。  

 ジェファソンは、“The glow of one warm thought is me worth more than money.”(心からの思い遣りによって感じる幸福は、私にとってお金以上の価値がある)と語っている。

 一方で、黒人と白人の結婚については、1814年にジェファソン自身の見解として、「白人と黒人の血の結合は、人間の劣化を生むものである。そして、この国を愛する者も、人間性の素晴らしさを愛する者も、素直には同意できない事象である」と記している。

 ジェファソンとワシントン、このアメリカ建国の父たちは、独身時代は人妻を寝取り、大富豪の女性を妻とし、その後は、奴隷の黒人女性とのセックスに耽溺するなど、2人の生き様は相通じるものがあるようだ。

 人は誰しも、純粋性と不純性を兼ね合わせている。それゆえに主義や主張と、現実の実態が異なることもあるようだ。