トーマス・ジェファソンの下半身事情

 アメリカ合衆国第3代大統領で建国の父の一人として知られる独立宣言の主要な執筆者トーマス・ジェファソン(1743-1826)。

 ジェファソンは博学者で、建築、園芸、考古学、古生物学などに精通しバージニア大学を創設している。

 バージニア州シャーロッツビル・モンティチェロはジェファソンの邸宅と、彼が所有した奴隷プランテーションがあった。

 彼は奴隷制廃止論者だったが、70年の間、600人以上の黒人奴隷を所有していた。

 そのジェファソンがまだ独身だった1768年当時、ウィリアム・アンド・メアリー大学の同級生で無二の親友だったジョン・ウォーカー妻ベッツィを寝取っている。

トーマス・ジェファソンは、所有する黒人女性の奴隷との間に7人の子供をもうけている(写真はウィキペディアより)

 親友のジョンが仕事でしばらく留守することになり、隣人のジェファソンに「私が居ない間、妻ベッツィと幼い娘の面倒をよろしく頼む」との依頼がコトの発端である。

 2人の不適切な関係は20年後、妻ベッツィが夫ジョンに告白したことで発覚する。

 寝取られた夫ジョンは発覚後20年間、この屈辱的な親友の裏切りを自分の胸の中に封じた。

 後にジェファソンが大統領となると、寝取られた夫ジョンはジェファソンに、「40年前に妻ベッツィがオマエと肉体関係があったと、打ち明けたのだが」と詰め寄ると、狼狽えたジェファソンは親友の妻との情事を素直に認め謝罪した。

 ジェファソンは29歳の時、23歳の未亡人マーサ・ウェイルズ・スケルトンと結婚。

 活発で機知に富んだマーサは裕福な家庭で育ち、小柄だが品格があり博学で教養のある美人だった。

 マーサに求婚したい男性は大勢いたが、彼女はジェファソンのバイオリンの見事な腕前に惹かれていた。

 マーサは自宅で音楽を聞き友人らを招待すると、そこで彼女はジェファソンとのバイオリンのデュエットを披露した。

 その美しくも見事なハーモニーを奏でる2人を見て、マーサに求愛していた多くのライバルたちは去っていった。

 妻マーサはジェファソンとの間に6人の子供を産むが、夫が大統領に就任する前の33歳の時、出産中に亡くなった。

 ジェファソンはマーサの死の直前に、「私は貴女以外の女性とは二度と結婚しない」と誓っている。