ワシントンの隠し子

 ワシントンは妻の所有するバージニア州で広域プランテーションを経営すると、そこで働く奴隷の数は300人を超えていた。

 ワシントンの家政婦をしていたアフリカ系の女性奴隷ベニスは、黒人と白人の混血の美人だった。

 ワシントンはこの黒人女性の奴隷との間にウェスト・フォードという名の婚外子がいる。

 ワシントンの死後、奴隷の身から解放されたウェスト・フォードは、自由の身になると1833年に最古の解放奴隷の村をバージニア州ガムスプリングスに築いている。

偉人の本音と建前

 ワシントンが若き日に、最も情熱的に愛した親友の妻、サラ・ケイリー(サリー)は夫とともに英国に渡った。

 サマセット州バースで彼女が81歳で亡くなった時、サリーにワシントンが送った手紙が彼女の親戚によって発見された。

 そこには、次のように綴られている。

「私の人生においての、最高瞬間風速の幸せな時間、この幸せな一瞬を永遠のものにできたなら・・・」

「私は貴女のことを、心から消し去ることは到底できそうにありません。あなたを想うだけで胸が高まり、私は深奥から湧き出るように身体が疼くのです」

 人妻を寝取るということは、背徳であり道徳とは真逆の行為なのだが・・・。

 ワシントンは“Happiness and moral duty are inseparably connected.”
(幸福と道徳的な義務は不可分に結びついている)という言葉を残している。

 建国の父であっても、人には往々にして主義主張と現実の実態が異なることがある。