道長に対抗して「第1皇子は敦康親王」とアピールする伊周

 一条天皇が退位すれば、皇太子の居貞親王(いやさだしんのう)が即位するのが規定路線だが、そのとき次の皇太子は誰になるのか。

 一条天皇が定子との間に産んだ敦康親王(あつやすしんのう)が第1皇子であり、次の皇太子の最有力候補だったが、彰子との間にも、敦成親王(あつひらしんのう)が生まれたことで分からなくなってきた。順当に考えれば、第1皇子の敦康親王が後継者となるが、第2皇子の敦成親王は道長の孫であり、後ろ盾は強力だ。

 一条天皇の亡き定子への思いが勝つか、道長の政治力が勝つか──といったところだろうか。運命の分かれ道に立っていた一人が、藤原伊周(これちか)である。今回の放送では、伊周に道長と同じく「正二位」の位が授けられた。

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 ドラマで伊周は一条天皇にこんなことを言っている。

「私は第1の御子におわす敦康親王様の後見。左大臣様は第2の御子・敦成親王のご後見であられます。どうかくれぐれもよしなにお願い申し上げます」

 敦康親王をわざわざ「第1の御子」と強調することで、周囲にも「次の皇太子は敦康親王にすべきだ」と分からせようとしたのだろう。実際にもこんな逸話が残っている。

 寛弘5(1008)年12月20日、敦成親王の「百日(ももか)の儀」が開かれたときのことだ。皆が酒に酔っぱらってきたころ、公卿たちの詠んだ歌に対して、書の達人でもある藤原行成が序題を書こうとしたという。

 すると、何を思ったのか伊周は行成から筆を取り上げてしまう。そして、次のような自作の序題を書き始めたのだ。

「第二皇子百日の嘉辰、宴を禁省に於いて合ふ。外祖左丞相以下、卿士大夫、座に侍る者済々たり。龍顔を咫尺に望み、鸞觴に酌して献酬す」

 百日の嘉日に、優れた方々の中に加わって天皇と間近に接し、盃をやりとりするという意味だ。序題の内容自体には問題がなさそうだが、冒頭で敦成親王を「第二皇子」とわざわざ強調している。まさに今回の放送で、伊周がやってのけたようなアピールが実際にあったようだ。