フランスのバルニエ首相(写真:ロイター/アフロ)
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(舛添 要一:国際政治学者)

 10月1日に石破内閣が発足し、27日には総選挙と、あわただしい日程で日本の政治が展開し始めた。石破政権は、挙党一致とは言いがたく、高市早苗、小林鷹之など、党内に大きな反主流派を抱える不安定要因に悩むことになろう。しかし、野党には容易には政権を奪われることはなかろう。

 これに対して、フランスで始動したミシェル・バルニエ新内閣は、議会の勢力が3分されており、10月1日の国会開幕は大荒れとなった。

3勢力鼎立のフランス国会

 6月30日(第一回投票)、7月7日(決選投票)に行われたフランスの国民議会(日本の衆議院に相当する)の結果は、1位が左翼連合の新人民戦線(NFP)で182(+33)議席、2位が与党連合で168(−82)議席、3位が極右の国民連合(RN)で143(+55)議席となった。

 その結果、どの会派も首相を出すだけの議席数(過半数は289議席)を持っておらず、統治不能な「宙づり国会」になってしまったのである。

 詳細は、7月13日の「舛添直言」<マクロンの大失敗、「EUの大黒柱」フランスの政治漂流は国際政治に深刻な不安をもたらす>に譲るが、対立する3政治勢力が協力して連立政権を組むことは不可能である。

 1958年にドゴールが発足させた第5共和制は、国民が直接選挙する大統領に強力な権限を集中させる体制であるが、アメリカの大統領制とは異なり、日本やイギリスのように首相がいる議院内閣制の要素も取り入れた。首相の任命権は大統領が持つが、首相は議会多数派から出ることになる。

 もし大統領が議会多数派の決定とは異なる政治家を首相に任命すれば、国会で不信任されるので、大統領は議会多数派から首相を選択せざるをえない。

 ドゴールは、首相が大統領と対立する会派から選ばれることは想定していなかったが、1980年代以降、大統領と首相が対立する会派から選ばれるという状況になってしまった。

 これを、保革共存(コアビタシオン)と呼んだが、1986年3月〜1988年5月のミッテラン大統領(社会党)・シラク首相(保守の共和国連合)、1993年3月〜1997年6月のミッテラン大統領・バラデュール首相(共和国連合)・ジュペ首相(共和国連合)、1997年6月〜2002年5月のシラク大統領・ジョスパン首相(社会党)という組み合わせである。

 ところが、今回はこのコアビタシオンとも異なり、左も右も中道も、単独では首相を決めるだけの過半数を持たない事態となったのである。