『源氏物語』の作者、紫式部を主人公にした『光る君へ』。NHK大河ドラマでは、初めて平安中期の貴族社会を舞台に選び、注目されている。第35回「中宮の涙」では、一条天皇のもとに入内し中宮となった彰子が世継ぎを産むことを父の藤原道長が熱望。懐妊を祈願して、息子の頼通らと共に御嶽詣へ向かうが……。『偉人名言迷言事典』など紫式部を取り上げた著作もある、偉人研究家の真山知幸氏が解説する。(JBpress編集部)
『御堂関白記』につづられた御岳詣プロジェクトの詳細
今回の放送は、内容的に大きく2つのパートに分けられそうだ。
後半部は「中宮の涙」のタイトルにあるように、彰子(あきこ)が一条天皇に思いをぶつける場面が最大の見せ場となった。
そんな恋愛ドラマさながらの後半部とは対照的に、前半部はアクションドラマ並みにハードなシーンが展開された。藤原道長らが挑んだのは「御嶽詣(みたけもうで)」である。
御嶽詣とは、身を清めて吉野の金峯山(きんぷせん)へ参詣しに行くことをいう。平安時代の人々が切なる願いをかなえるために行ったもので、道長は御嶽詣で娘・彰子の懐妊を祈願しようと考えた。
だが、御嶽詣は参拝のルールがとても厳しい。50~100日ほど身を清める修行をしてから山に入らなくてはならず、貴族であっても質素な装束で山に入るべしとされてきた。
『御堂関白記』では、道長らが決行した御嶽詣プロジェクトの詳細がつづられている。まずは肉食や酒を断って、心身を清めなければならない。寛弘4(1007)年閏5月17日からスタートし、70日あまりの精進潔斎(しょうじんけっさい)を行ってから、8月2日丑の刻、つまり午前2時前後に潔斎所を出発した。
メンバーは、息子の頼通や源俊賢(としかた)を含む17~18人だったという。8月3日には、奈良の大安寺に宿泊するも、道長が「宿所が華美で金峯山詣には相応しくない」として、南中門の脇で寝たことも『御堂関白記』にはつづられている。
10カ所の寺社に供物を捧げながら、一行は8月9日から金峯山に登り始めた。ドラマでは、降りしきる雨の中でぬかるんだ山道を登る様子が描かれたが、実際にも雨が降り続く中での過酷な御嶽詣だった。8月11日に金峯山寺へと無事に到着したときには、さぞほっとしたことであろう。