「つまらない」と評されるようになった従来のメディアの「中立性」

 現代の選挙や政治においては、政策の内容や理念と同等かそれ以上に、政治家の「イメージ」の影響が大きくなっている。それだけに冒頭にも記したように、「スピンドクター」などと呼ぶが、プランナーや企業等の専門家が求められるのだ。

 伝統的な選挙運動はビラの枚数や大きさなどを含めて細かい制限も多いのだが、それに対してネット選挙に関しては規制が乏しいため創意工夫の余地が極めて大きいのだ。さらに日本の政治関係者は全般に高齢で、ネットの土地勘も乏しいことが企業やコンサルタントたちの活躍の土壌となっている。

 さらにかつての政治家の言動はテレビや新聞を通じて報道され、それが国民に届くまでには時間がかかったものである。それでも政治家たちはテレビの討論番組や新聞のインタビューを通じて、自らの政策や信念を発信していた。テレビカメラを意識した政治は「劇場政治」と評された。

 しかしそれでも記事や番組には編集の手が入り、文脈から切り取られ、批判的視点が向けられることも多々あった。政治家たちにとっては決して心地よいものでもなかっただろう。特に与党議員や首長らは報道を通じて批判的な視点にさらされ続けてきたからである。

 しかし、SNSの登場によってこの流れが劇的に変わった。

 政治家自らによる発信が可能になったのだ。今では「発信は政治家の責任」とさえ評され、ブロック機能の使用は批判されるのだ。なかでもSNSの「即時性」と「双方向性」「アーカイブ性」が、現代の政治家の新たな政治の七つ道具的ツールとなっている。

 さらに今では、政治家たちはXやInstagram、YouTubeなどを利用し、直接国民にメッセージを発信できるようになったのだ。ネットもテキスト(文字情報)を中心とした時代から動画が重要視される時代になったのである。

 テキストと動画の大きな違いは、本人のノンバーバルな部分も含めて、「素の発信」が編集されることなく(また時に編集され)、リアルタイムで伝わるという点だ。政治家が何かを発言した途端に、それはすぐに数十万、数百万のフォロワーに届き、瞬く間に拡散される。

 この「即時性」は、政治家にとって大きな武器である。選挙戦の最中においても、SNSを活用することでリアルタイムに自分のメッセージや遊説場所を発信し、有権者との双方向的なコミュニケーションを行うことができるし、アーカイブを残しておけば、リアルタイムで演説を聞けなかった人にも主張を届けることができるし、東京都知事選でも見られたが、まるで音楽の興行やフェスを意識したような選挙運動や政治活動も増えた(2010年代前半頃からそのものずばり「選挙フェス」と呼ばれた集会が増えた)。

東京都知事選で2位の得票を集めた石丸伸二氏。ネット戦術が奏功したと評された(クレジット:Yusuke Harada/NurPhoto/共同通信イメージズ)東京都知事選で2位の得票を集めた石丸伸二氏。ネット戦術が奏功したと評された(クレジット:Yusuke Harada/NurPhoto/共同通信イメージズ)

 ショート動画はうまく使えばアルゴリズムによってフォローしていない人にも動画を押し付け的に見せることすらできる。

 従来のメディアが持っていた「中立性」や「客観性」に関する規範は弱くなり(「つまらない」と評されてしまう)、さらに「批判的視点」というフィルターを通さずに、政治家が自らの言葉で直接国民に語りかけることができるようになった。