「近づきがたい」政治家のイメージは変化している

 東京都知事選挙や自民党の総裁選は記憶に新しいが、どれだけ注目を集めるか、好印象を獲得できるかということはひとつの政治的資源である。自民党総裁選も総選挙間近ということで、有権者である自民党員のみならず「国民の目」が強く意識されていた。

 ネット討論会も開かれ、LINE VOOMやYahoo!のトップページで配信され、まるで国政選挙のような扱いだった。総裁選に名乗りを挙げて大きく知名度を挙げた候補者もいる。

 現在ではネットは若者だけのものでも、新しいものが好きなアーリーアダプターのものでもなくなった。2013年に公職選挙法が改正され、国政選挙ではその年の参院選においてインターネット選挙運動(「ネット選挙」)が広く認められてから10年近い時間が流れた。

 一般有権者が電子メールや携帯電話のショートメッセージを使った選挙運動を行うことは認められていないが、メッセージサービス等を使った選挙運動は認められているなど、今となっては(当時も)非合理な規制は残っているが、この間に政治の世界でもそうとう浸透したため、その影響が政治に及んだとしてもそれほど不思議ではない。

 かつての政治家は威厳や権威を持って支持を得ることが一般的だった。背広にネクタイを締め、選挙区ではネクタイを外した姿を見せないなどと言われたものである。厳粛な顔つきで演説をし、政策の正当性や国家の将来を大上段に語る姿が、政治家の典型的なイメージであった。

 しかし、時代は変わりつつある。現代の政治家たちは、かつてのような「威厳」や「権威」ではなく、「親しみやすさ」や「素顔」を国民にアピールすることに注力している。 

 たとえば、最近ではネクタイをしめないのみならず、カジュアルなポロシャツを着たりする政治家も増えてきた。YouTubeのショート動画で好きな食べ物や趣味、筋トレの話を開陳するものも増えている。

 国民により身近な存在であることを示しているともいえるが、これまでの権威や威厳を重要視した政治家は過去のものになろうとしているのかもしれない。現代の有権者は一方的なリーダーシップではなく、むしろ、「共感できるリーダー」であり、自分たちと同じ目線で語り合うことのできるリーダーを求めているのではないか。

 この変化は、政治家にとって一種の転換点でもある。従来の政治家の権威的なイメージは、一定の支持を集める一方で、特に若い人たちや都市部の有権者などに「身近ではない」「近づき難い」印象を与えていた。

 そこで政治家たちはネクタイを外し、カジュアルな装いでSNSや動画配信を通じて自分自身の「素顔」を見せることで、有権者との距離を縮めようとしている。因果関係とまではいえないが、「政治の常識」の変化とメディア環境の変化が相関しているとはいえるのではないか。