石破総理の「覚悟」と「まごころ」や如何に

 当時、鳥取には高速道路もなく、移動にもやたら時間がかかった記憶がある。当然、事務所も3か所必要となり、カネもかかる。派閥からの支度金や親の遺産を当てても足りず、鳥取銀行や山陰合同銀行から合わせて3億円ほどの借金をしたと、石破氏から聞かされた。石破氏が後に金のかからない小選挙区論者の急先鋒になった理由はよくわかる。

 石破氏は昭和61年(1986年)のダブル選で最下位ながら初当選。平成2年(1990年)の消費税・リクルート選挙では増税賛成を掲げてトップ当選を飾っている。「勇気とまごころをもって真実を語れ」と自分に言い聞かせていたのだろう。

 その後、宮沢喜一内閣不信任案に賛成して無所属で立候補し、トップ当選。選挙後、細川内閣の出した政治改革法案の扱いを巡って野党・自民党を離党。4年後与党に復帰した自民党に復党と「離合集散この世の習い」を地でいく政治家人生を送ってきた。

 育ての親とも言える地元の吉岡利固氏ともケンカ別れしたと風の便りに聞いたことがある(後に参議院のドン青木幹雄氏の仲介でよりを戻したとも)。

 石破さんが総裁選の決戦投票演説で「多くの足らざるところがあり、多くの人々の思いを傷つけてきた」という反省の弁には、万感の思いが込められていたのだろう。

 石破内閣は最初から分断された政治基盤に乗って立つ。既に短命政権との評も出ている。離合集散を加速するか、はたまた集約するか。

 ちなみに、ミッチー語録の言う「勇気」とは「覚悟」のこと。「まごころ」とは、政治家と国民との間に「ああ、この人だったらある程度までお任せでいいか」という信頼関係を意味する。

「まごころ」が通いあっていればコミュニケーションはとっても容易になる。逆に「まごころ」がないと百万遍理屈を述べてみても国民は理解してくれない、ということ。

 石破総理の「覚悟」と「まごころ」や如何に。そして「真実」とは何か。