「他者の合理性」「ラベリング」の考え方を教育界に広げたい

 ここまでの議論について、2点補足する。

 第一に、だいきが指摘した「型に当てはめ過ぎること」の危険性は、きわめて重要な論点である。

「他者の合理性」概念は、自分とは境遇の異なる人々の持つ「合理性」を理解しようとすることの重要性を説くものだが、安易に「わかった気になる」ことは、逆に「あの人は自分とは違う」と「他者化」することを助長してしまいかねない。

 第二に、ラベリングについて。授業、あるいは教科書第9章(筆者が執筆)では、この概念については短くしか触れていなかった。にもかかわらず、議論のなかで「セルフラベリング」にまで思考を巡らす学生がいたことには、少々驚かされた。

 ラベリング論の発想を理解すれば、「罰を与えれば人は良くなる」という考え方に距離を取ることができるはずだ。

 しかし、たとえば一部の高校では、問題を起こした生徒に機械的に自主退学を迫るような運用が、常態化していると聞く。

 学校は、ドロップアウトした(しかけた)子どもたちを、奈落の底に突き落とすこともできる。逆に、彼らの社会への(再)包摂を支えることもできる。

 ラベリングの発想を教育界に広げることは、前者を減らし後者を増やすことにつながると、筆者は考える。

(第8回につづく)