教育格差の学びを実際の社会にどう落とし込む?京大生がディスカッションした

(A)「生まれ」に可能性を制限されない社会をつくるために、人々が知るべき理論、データ、研究成果はなんだと思いますか。教科書全体から3つ選び、それぞれの理由を論じてください。
(B)この授業で学んだ理論、データ、研究成果を、どのように自分自身の日々の生活や人生に応用できると思いますか。


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岡邊:最終回です。今日は、お題AとBを分けずに、議論を進めましょう。

かずき:授業で、生まれによって背負ってる性別とかSES(社会経済的地位)とかで、進路が知らぬうちに決まっていってると知って、怖いなと思って。

 うちの学校は、女子が理系に行くっていうのが少なかったんで、「隠れたカリキュラム」の影響やったんかなと…。ジェンダーや隠れたカリキュラムは、皆が知るべきことでは?

岡邊:ほかに、ジェンダーを挙げてくれた人は?

りゅうのすけ:ジェンダーのことは僕が知らなかった、結構ほかにも知らない人、多いんじゃないかなって思うので、みんなが知るべきものとして、挙げました。

 確かに理系、特に物理系とか数学系とか、女子が少ない。っていうのは、男女で能力に差があるのかなって思ってたんですけど、そこには科学的根拠がないっていうことでした。それを知ったら、もっと理系に進む気になる人もいるんじゃないかなって…。

成績、学歴一辺倒の価値観を反省

岡邊:「他者の合理性」を挙げていた人もいましたね。

あい:はい。時々、他の人がすることが全然理解できない、何でその人がそうするか分からないということもあるけど、その人の環境とか背景をちょっと考えながら分析することによって、だんだん分かるようになることもあるっていう風に…。 

目に見えにくい教育格差に関するディスカッションを通し、京大生は何を学んだか目に見えにくい教育格差に関するディスカッションを通し、京大生は何を学んだか
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岡邊:他者の合理性を考えることの重要性ですね。いまのは、お題Bの答えにもなってます。

けんた:自分たちの班で出た意見なんですけど、京大生、もしくは京大生に準ずる学力を持ってる人って、勉強ができたから周りから褒められてきたっていう人生を送ってきた人が大半やと思うんです。

 自分も、知らず知らずのうちに「いい成績を取ることが幸せだ」「いい学歴を持つことが幸せだ」みたいな価値観を持って、話をしてしまうことが多かったかも。そういう意味で、ちょっと反省している。

岡邊:一見、非常に不合理に見える他者の言動についても、そこには合理性があるんだっていう前提で見てみる。そして、そう見ることによって、教育現場であれば、良い実践につながる契機がある。

 単に突き放して「勉強できない人だ」っていうんじゃなくて、言動に「どういう合理性があるんだろう」というように考える。それが望ましい方法を採る契機になる。「他者の合理性」は、そのような概念です。

だいき:最近たまたま別の授業で、文化人類学の授業を取って、自分が理解できない他者をどうやって理解するかっていう、そういう話があって。

 他人にも他人なりの理屈があるというのは、それは大事だと思うんですけど、ただ一方で、文化人類学でいうと、その後に批判されたのが「型に当てはめ過ぎること」。その人はこういうやつだ、こういう考え方をしてるんだっていう。

 例えば、低SES層の人はこういう考え方をしがちだみたいな、そういう考えに当てはめることは、それはそれで危険だと思って。

岡邊:他者の合理性っていう概念も「合理性があるんだ、以上」ってなったら、何も議論は進まないわけだよね。だから、「その次」を考えるのがすごく大事。それを知ることは、社会にとって、あるいは私にとって、どういう意味があるかが問われる。