楽天副社長を辞めて学校をつくろうと思ったワケ

──教職員など大人の役割は、子どもたちに何かを教えるのではなく、子どもたちがそれぞれの学びをつくっていけるように、そのサポートに徹するということでしょうか。

本城:そうあるべきだと思います。ただ、分野やタイミングにもよりますが、ゼロから自分でつくるより、ある程度、大人から手渡されたほうがいい場合もあります。必要な時に子どもに手渡すのは、大人の責任だと思います。

 ですから、手渡すところはしっかりと手渡しつつ、ここから先は子どもたちができそうだなと思えば、手渡しすぎない。そのあたりの見極めが大切になると思っています。

──その見極めはメチャメチャ難しいですよね。

本城:本当に難しいです。そのためには、多面的に子どもたちを観察する必要があります。一人ひとりを見るだけでなく、集団で見たり、あるいは遠くから見たり、近づいて見たり、同じところから定点観察したり、一緒に動く中で観察したり……。かなり難しいことですが、それをしなければなりません。

風越学園を設立した本城慎之介理事長風越学園を設立した本城慎之介理事長

──よく聞かれる質問だと思いますが、本城さんは2002年11月まで楽天の副社長を務めていました。なぜ教育に関心を持ったのでしょうか。

本城:正直なことを言うと、僕は教育には全く関心がありませんでした。20代の頃は特に。20代の僕は三木谷さんと一緒に全速力で楽天をつくっていました。結果、楽天は2000年に上場し、僕は副社長になりました。

 ただ、当時から30歳で辞めようと決めていたんですよ。それは、三木谷さんが30歳の時に勤めていた日本興業銀行を辞めていたから。何をするかは決めていなかったけど、三木谷さんのように、30歳で辞めよう、と。

 それで、30歳になる前に「そろそろ30歳になるので辞めようと思います」と三木谷さんに伝えたところ、「お前、辞められないよ」と言われまして。「俺はサラリーマンだったけど、お前は上場企業の副社長なんだから、そんなに簡単には辞められないよ」って。

 その時に「で、何をしたいんだよ」という話になったんです。当時の僕は旅館やホテルに関心があったので「宿をやりたいと思います」と言ったら、「じゃあ、買ってやる」と(笑)。

──なかなか辞めさせてくれませんね。

本城:そうなんです。その後、楽天が絶対にやりそうもないことを理由にすれば納得してくれるかもしれないと思っていろいろ考えた末に、学校は絶対にやらないだろう、と。

 そこで、教育についていろいろ調べ始めると、純粋に面白そうだと思いました。しかも、面白そうというだけでなく、かなり難しく、時間も相当かかりそうだということも分かりました。

 でも、面白くて、難しくて、時間もかかるのであれば、たっぷりと面白がれますよね。それで門外漢の教育を研究し、学校をつくろうと思ったんです。

──最初は全寮制のエリート校を想定していたと聞きました。