自動化された「個に応じた学び」の弊害

──ぴっぴが実践している保育のかたちを学びたいと思ったのですか?

本城:ぴっぴのやり方を学びたいというより、「人が育つということがどういうことか」ということを改めて考えたいと思ったというほうが大きいですね。

 ぴっぴは2歳児からなので、おむつをしている子もいれば、自分で靴下をはけない子もいます。言葉もやっと覚え始めたような子も少なくありませんが、同時に自分でできることが徐々に増えていくタイミングでもあるんです。

 一人で靴下をはけるようになったり、自分の気持ちを言葉で言うことができるようになったり、遊んでいたけれども、自分の意思でオシッコにいけるようになったり。それも、森の中という不安定な環境下で。

 それを見ていて、人がどのように学んでいくのかということを知りたくなったんですよね。それで、ぴっぴに入りました。

──今までの価値観は揺さぶられましたか?

本城:だいぶ変わりましたね。ぴっぴで働く前はもっと教えないと人は育たないと思っていたのですが、必ずしもそうではないんですよね。

 実際、ぴっぴの7年間では、大人や友達の真似をすることで学んだり、不快な状況、不安な状況を何とかするために友達の力を借りたり、そういう瞬間にいくつも出合いました。伝えなければいけないところと任せるところ、その部分を学ばせてもらったように感じています。

──それは今に生きている?

本城:生きていますね。これは今教えるべき、これは少し時間がかかっても自分で獲得したほうがいい、この部分は放っておいても友達同士で何とかするだろう……。そういう部分を深く考えるようになりました。

──今の時代は過保護すぎる面もありますから。

本城:今は公立の小中学校でもタブレットを渡しています。タブレットの中には、様々な学習教材が入っています。あれはあれで素晴らしい面もありますが、完全に自動化された「個に応じた学び」なんですよね。

 できる子はどんどん進めていきますし、何かにつまずいた子は、つまずいたところに戻って学び直すことができる。それは素晴らしいことのように感じますが、子どもたちが困らなくなってしまうという弊害がある。

 オノマトペで言うと、「ツルツル」「サラサラ」という感じですーっと行ってしまう。でも、これは自動運転のようなもので、手応えがないんです。引っかからない。

 むしろ「ザラザラ」「でこぼこ」といった不足がある状態のほうが、自分の力で成し遂げたという手応えは大きいと思うんです。壁のへこみに指や足をかけて、そこを支点にして体をるっと持ち上げていくような感覚。そのほうが人は自分で育っていく。

インタビューは「地球と人」という5、6年生向けの授業の一環で行われたインタビューは「地球と人」という5、6年生向けの授業の一環で行われた

──ぴっぴでの経験を経て、本城さんは2016年に学校づくりに着手しました。なぜこのタイミングだったのでしょうか?