涙は亡くなった人に対して流してほしい(StockSnapによるPixabayからの画像)

斎藤元彦・兵庫県知事:(3年前の兵庫知事選の折)「がんばれよ」と言っていただいていましたので(涙目)、そこは大変申し訳ないと(軽くしゃくりあげる)・・・。

 こういう状況になったということは申し訳ないな、という思いで(泣きながら)・・・自分自身に対して悔しい思いです。

 ここまで醜い「大人が泣く風景」は、なかなか目にしないものと思います。

 自分の行いが何らかの要因になって最低2人、実際には3人以上亡くなっており、精神の平衡を崩して苦しんでいる県職員も相当数に上るという。

 今や、この人の存在自体が県政にとって「災害レベル」という状態になっている斎藤知事は、「自分」のことで大の大人が人前で泣く失態を見せている。

「自分自身に対して悔しい」など、臆面もなく幼稚でエゴイスティックな涙顔を公衆の面前に晒すのは、いい年をした人間がやることではありません。

 同時に、これとよく似ていたであろう、「大の大人の幼稚な涙」として、子供の頃に親から聞いた話を思い出しました。

 終戦直後に士官や予備役など「帝国軍人」が流したという涙。

「陛下に申し訳ない」と、いい年をした大人が泣きながら、目の前で彼の責任によって奪われた命などに、およそ顧慮のなかったオッサンたちの話を想起せざるを得ませんでした。

 私自身も生まれる前ですので、目撃はしていないのですが、いったいどんな具合だったのでしょう。