東独と日本:無責任教育が生み出したもの

 JBpressの記事「なぜ、ドイツで極右政党が躍進?反移民・厭戦ムード…若者取り込むポピュリズムの危うさ、ファシズムの反省はどこに」 に、旧東独圏で右傾化が進む趨勢が活写されています。

 実のところ、旧東独出身者は「オスティ」(Ostie、OSTは「東(EAST)の意」)などと呼ばれて就職に不利になったりすることもあり、今現在も旧東独出身の、ナチスドイツそのもののような人間を相手にトラブルシュートの最中だったりします。

 旧ソ連の占領地区では「ファシズムの反省」が僅少なんですね。

 なぜって、ヒトラーのドイツが倒れた瞬間、スターリンのソ連が占領したわけだから。

 1989年、ベルリンの壁が崩壊した時点まで、秘密警察「シュタージ」 が国民を相互監視させる実質ファシズム遺制が続いていた。

 そして、1985年から90年までシュタージに派遣されていたソ連KGBの一人に、ほかならぬウラジーミル・プーチン氏も存在していた。

 東側の人々は「戦争責任」を意識する貴重な歴史の教訓を受けることができていない。そこからまたぞろ「急進右翼」が台頭してくる。理の当然なのです。

 これと同じことが、やはり天皇の戦争責任を筆頭に、「あの戦争」に白黒をしっかりつけずに戦後を過ごした日本で、教育の中に温存されている現実を、私は学生時代からかれこれ40年間、東京大学という組織の中で、あらゆる機会に痛感してきました。

 だから、強調するのです。

「斎藤元彦」現象は、実は陳腐で平凡、決して特殊ではない。

 下手をすれば、ああいうのをいくらでも再生産しかねない状況は、決して「八紘一宇」の時代と変わっていない可能性がある。

 再発防止を真剣に考える必要があると思います。