大日本帝国陸海軍と斎藤知事共通の根っこ

 戸部良一、寺本義也、鎌田伸一、杉之尾孝生、村井友秀、野中郁次郎共著になる『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』(1984、ダイヤモンド社刊)はノモンハン事件からガダルカナル作戦、インパール作戦、レイテ沖海戦、沖縄戦に至る旧日本軍の立てた「主要な失敗作戦」を詳細に分析した、元来は学術書というべき本です。

 しかし、「日本型組織」が必然的に失敗する構造を抉り出した慧眼は、単に戦史にとどまらず、第2次世界大戦後、日本には戦史への公的需要はほとんどなくなったわけで、むしろビジネスの指南書として、あるいは行政改革のバイブルとしても、多くの人に読み継がれてきました。

 以下では紙幅も限られていますので、思い切って私なりに「日本型組織、失敗の必然」ポイントをまとめてみました。

(1)古い成功体験(日露戦争における乃木希典の203高地攻略、東郷平八郎のバルチック艦隊殲滅)に引きずられ、約40年が経過した第2次世界大戦の現実を直視できなかった。

(2)必然的に30年、40年前の戦略・戦術が重視され、米軍を中心とする列強兵力の変化に対応できる組織革新ができなかった。

(3)年功序列やコネが重視され、官僚制が本来もつ美点であるはずの合理性が消失、意思決定から人事、賞罰までミクロな人間関係が幅を利かせた。

(4)陸軍、海軍、大本営、各組織内ならびに組織間のコミュニケーションが十分でなく、作戦が不徹底に終わった。

(5)すでに必敗の形勢になっても、それに対応できず、旧態依然たる突貫を繰り返し、最終的に「玉砕」「自爆特攻」などにばく進した。

 だらだらと終戦交渉のタイミングを逸したために、日本は広島、長崎への原爆投下を連合軍に許してしまった。

「決められない人たち」の集団だった戦争指導部が、自ら呼び込んだ惨禍という面が明確にある。

 事実、のたのたしているうちにソ連の宣戦布告を許し、8月8日から9月5日の1か月足らず、ポツダム宣言受諾以降の強盗戦術で、我が伊東家の樺太の地所も永遠に奪われ、全く冗談になっていません。

 いつまでも辞めずにダラダラしていたから、こんなことになった。

・・・と、ここまで書けば「斎藤元彦知事」が今現在やらかしている失態が、典型的な「決められない日本役人」の愚行であることを、賢明な読者には自明と思います。

 一応、一つひとつ対応関係を確認してみましょう。